遅刻寸前
 私は走っていた。
 右手に学校指定カバン、斜めがけにしたセカンドバッグ、ステップに合わせて緑のチェックのスカートが踊る。
 もしかしたら中身がみえているかもしれないひらめき具合だけど、どうせ中には体育用のハーフパンツをはきこんでいるんだ、気にしない。
 それより大事なことは、と、赤い屋根の大きな家がある曲がり角で腕時計に目を走らせる。
 8時34分。大丈夫。
 始業の鐘と共に校門が閉まるまでにはあと10分ちょいある、今日のこのペースなら、じゅうぶん8時45分までに滑り込める。
 毎日走り続けて得た、経験上。
 成績は中くらい、体育もまあまあ、肉も野菜も大好きで、ゴキブリやヘビが出てきても新聞紙や棒きれ一本で撃退してしまう私の唯一の弱点が、朝、だった。
 目覚ましを何個掛けても、お姉ちゃんにベッドから首根っこ引きずりおろされても、決して余裕があるようには準備できないのだった。
 近隣の学校より30分始業が遅いこの高校に受かったときは、おじいちゃんおばあちゃんまで胸をなで下ろしたものだ。
……でも、中学時代は7時54分だった起床時間が、8時17分になるというオチが待っているだけだったとは、さすがの本人も予想しなかった。
 8時37分。公園にさしかかる。
 二本目と三本目の木の間から駆け込み、砂場やベンチを横目に斜めに走り過ぎる。貴重なショートカットだ。
 フェンスの間から出て鋭角に曲がる。いいペースだ。
……はあ。今は学生だからいいけど、この先就職とかしたらどうなるんだろう。
 遅刻が原因でお仕事首になっちゃったりするかもしれない。
 それに、デートとかもやばいんじゃないだろうか。やったことないっていうか、彼氏いないどころか、好きな人もいないけど。
 漫画にあるように15分待たせて「ごっめぇ〜ん、待ったぁ?」なんてキャラじゃないし、ファッション雑誌にあるそれ系の記事とか読むと、現実の男の子って結構遅刻にうるさいみたいだし。
 だらしない女の子って思われる以上に、他意……つまりあんま好きじゃないとか、フタマタとか疑われたら、どうしよう。
……かくなる上は、遅刻に寛容な彼氏を探すしか? でもそんなのって見ただけでわかるの?
 自分も遅刻魔な男の子とか? でもそれでだらしなかったらどうしよう、嫌だよ?
 と、自分を棚に上げつつ走っているうちに、校門が見えるところまでやってきている。また腕時計を確認。42分、大丈夫。その文字盤に影が差した。
 何、と思った瞬間に、勢いよく前に振った右手の先の指定カバンが衝撃を受ける。続けて右肩と全身。
 あれ、視界がグレーに染まっている。これってアスファルトじゃん。
 私こけたの? 何かにぶつかって?
「ごめんっ、前見てなかった!」
 ちょっと高めの男の子の声がして、私は勢いよく助け起こされた。こっちを気遣わしげにうかがうのは、見たことがあるかもしんない男の子の顔。汗が浮いている。うちの制服だ。
「怪我してない? 痛いところない?」
「だいじょぶ……ああ! 時間!」
 私は慌てて左手を持ち上げる。時計は44分。
「あと1分、やばくない?!」
「俺なら大丈夫、いつも走って知ってるから!」
 彼は私を立ち上がらせると、それが当然って感じで手を引き、走り出した。
 いつもより大きな自分の歩幅に、なぜかちょっとドキドキする。
……にしても……いたんだなぁ、こんな真面目そうな男の子でも毎日走ってギリギリの子。
 私はこみ上げてくる何かの予感に、状況には不似合いな笑顔を、隠しきれずにいられなかった。
Senseless Sentences
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