罪と罰
雅がくつろぐ庭のプレハブの扉を、外からノックする音がする。
「ん、誰? 何?」
雅はあったかいこたつから渋々出て、ドアを開けた。
「じゃむ兄、どしたの?」
「台所においしそーな煮っ転がしがあったからー、おすそわけ」
湯気の立つどんぶりを手に、笑顔の長男が立っていた。
「わあいありがと♪ 上がって上がって」
こたつにどんぶりを置いて、ぱくつく。
「おいし。しん兄が作ったのかなぁ」
「じゃない? お鍋に入ってた」
にんまりとお芋をほおばりながら、聞き捨てならないことを言い出す長男。
「えっお鍋?!
それって、作りかけなんじゃ」
「でもよく煮えてるよーはふはふ」
「っていうか…… これって……つまみ食い」
つまみ食い禁止。それは一家の鉄の掟である。
「がびーん!
でっでもしんくんいなかったし」
「さっき出かけてったよ、エプロンしたままお財布もって」
「じゃあ何か足りない食材でも買い出しにっ?!
しまった、料理の途中だったのかっ。煮えてるから完成してると思ったのに」
「他のおかず作る前に、作ってあっただけじゃん……。
も、もう帰ってくるよどどどうしよう。しん兄異常に勘強いし、なんだかわかんないけど台所の犯罪にはむちゃくちゃ怖いし」
つまみ食いや好き嫌いを見つけると、なまはげに変貌するのが一家の台所担当、次男の真実であった。
「と、とりあえず証拠隠滅」
慌ててぱくぱくと残りのお芋を口に放り込む長男。
「そんなことやってる場合じゃないよー! あとよろしく」
雅はがばっと立ち上がると、サンダルをつっかけた。
「ってどこ行くの雅っち」
「逃げる!
じゃむ兄もがんばってねっ☆」
「ええーっ」
慌てて長男も、さっき脱いだ靴を突っかけて外に出る。と、門を出て走り去る雅と、それにすれ違って面食らっている真実がいた。
「し、ししししんくんおかえり」
「ただいま〜。雅ちゃんといい、どうしたんですか? そんなに慌てて。
まさか私のいない間にお芋をつまみぐい……とか」
「ぎぎくっ」
「……したんですね?」
とたんに真実の口が耳まで裂けて、角がにょっきり顔を出す。
「食事は人が生きていく上での聖なる行為、すなわち厨房は聖地、料理はその象徴! 聖地を荒らし象徴を汚した大罪、たとえ神が許しても私が許せるものではありませんっ」
「きょ、今日はなまはげじゃなくて、般若なのね〜っ……
ご、ごめんなさーいっ、もうしませんからっ」
言うなり身を翻す長男。その先に木があった。
「許してください神さま……じゃだめなんだっけ、えっと、仏さま、お代官さまああああ」
そのままドップラー効果で声が変化するほどの速度で、梢まで上りつめる。
「…………そう来るんですか」
さすがの真実も呆れているようだ。
「じゃあ、降りてくる気になるまで待ってましょうか♪」
しかしすぐに笑顔にでうなずく。それが逆に怖い。
「どうせ、すぐおなかがすいて降りてくるに決まってるんですからね♪」
5分経過。
寒風の中、木にしがみつく長男の胃は満腹とはほど遠かった。
「どうせならもうちょっと煮っ転がし、食べておくんだったなぁ……」
懲りてないとはこのことである。
「でも下にしんくんがいるから降りられないし……はっ」
懲りない瞳に二階の窓が映る。新たな道だ。
「ふっ、油断したなしんくん、とおっ!」
「なにっ?!」
土足のまま峰子の部屋を走り抜け、階段を駆け下りる長男。
「表か……裏か……表、と見せかけて裏、それとも……」
降りきったかどうか、というところで立ち止まり、つぶやく。
真実がやってくる方角だ。
「さっき表にいたから、裏っ!」
台所に飛び込んだ。
そこにいたのは長女、峰子。
「何も言わずに見逃してくれっ、武士の情けじゃ」
しかし、横を通り過ぎようとした瞬間に、足を取られて顔からびたんと床に衝突する。
峰子が差し出した足に引っかかっていた。
「私、武士じゃないから」
「え、えーん、身逃してよう……峰っちには何もしてないじゃん〜」
「……ほう。その土足で、どこから上がり込んだのか、言ってもらおうかな〜?」
長男は忘れていた。
峰子も、誰かが何かをやらかした件に関しては、異常に勘が鋭いのであった。
そして寒風吹きっさらしの中、『塀に冷水でブラシがけの刑』に処された長男。
「うううううさびびびびび」
「当然ですよ、つまみ食いしたんですから」
買ってきた材料で料理を終えた真実と、峰子が見張っている。
「出来心だったんですう悪気はなかったんですう」
「んじゃ逃げて罪を重ねなきゃよかったのに」
「うぅ、そ、それはつい……」
「だいたい、この時間帯にできあがってる料理を食べるのがもうアウトなんだって。夕飯のおかずに決まってるじゃん。
おやつにするなら、素直にまんじゅうでも食べておけばよかったのに、浅はかなんだから」
説教する峰子はダッフルコートにマフラーにミトンと、完全武装である。
「ええ、お夕飯の支度の時間ですしね。お隣の台所からも湯気が出ていますよ。
それにしても、雅ちゃんどこ行ったんでしょうかねえ」
「そ、そーだそーだ。雅っちにはおとがめなしなんて」
「何言ってるんですか、雅ちゃんがつまみ食いして証拠のお皿を部屋に置きっぱなしになんて、するわけないじゃありませんか」
「うぐう」
うっかり犯と知能犯の差といったところか。
「うん。つまりこれは長男の単独犯と断定できるってわけさ」
峰子がミトンに包まれた両手をぽふぽふと合わせた。
「さあて、ご飯まであと10分。がんばってくださいね」
「はぁい……」
日も沈んでコバルト色の家並みに、長男のこするブラシの音がひびきわたっていった。