なっとう
Thinking Things


 無性に納豆を食べたくなる時というものがある。

 一般に関西人は納豆が苦手で関東人はそうでもない、と言われるが、人種の平均化が進んだ昨今そのような事実は風化しつつあると思うのだがどうだろうか。が、うどんのつゆの色は未だにきっぱり東西で別れるらしいので、納豆の好みの差も根強く残っているかもしれない。
 そもそも関東人が納豆を食べる、という説は、納豆は水戸、ひいては茨城のものだという通説に由来するのではないだろうか。
 この際、茨城は実は南東北なのだとかいう主張は、しばし、置いておこう。
 どこかのティーンズ小説には『水戸駅前には黄門様の像が納豆を持って立っている』との記述があった。『空想科学大戦』なる漫画の茨城県庁には巨大な藁納豆のオブジェが乗っかっていた。学研の教材でも茨城県の特産品は納豆であった。『水戸納豆』と言われるとそれだけで確かに、四字熟語として収まりがよいようにも思えてくる。

 で、茨城県民の看板を背負って立つ私は納豆好きである。
 あやうく本題を忘れるところだった。これだから郷土意識というものは厄介だ。
 だが、納豆の大きな特徴である粘りは、食する上で非常に邪魔となる。首尾よく周囲を汚さずに食べ終えることができたところで、茶碗や箸を洗う段になって再度その粘りに悩まされなければならない。
 しかして最近の私は、外食時にもっぱら納豆を食すこととなる。
 牛丼屋であろうとファミレスであろうと、和食セットであれば付け合わせの候補に必ずと言っていいほど納豆が上がっている。それを選ぶわけである。実を言えばキムチも好きなのだが、そしてキムチも納豆と同様乳酸菌が多い食品のリストに名を連ねていたが、キムチは家でも楽に、つまり糸を切るため無闇に箸を振り回した挙げ句服に付着させてしまうような苦労をせずに食べられる。
 家で食べられないものを食べること、これが外食の醍醐味ではなかろうか。

 けれども、ふと顧みると、下宿を初めてこのかた外食が以前ほど特別なものではなくなっている自分に気付く。
 一人分だけの食事を自分で用意して食べるというのは味気ないものである。ただでさえずぼらな私だ。
 実家にいた頃は想像もできなかったような数のファミレスが周囲に散らばっているここに住んで、食卓の半数が外に置かれるようになるのは時間の問題だったと言えよう。
 かつては特別なものであった外食も、今や日常生活の一部である。
 となれば、ファミレスで無性に納豆を食べたくなって、注文し平らげたとしても、それは既に特別なものではなく、ただ日頃の食べ物であった納豆が日頃の行いごと家の外に持ち出されただけなのではなかろうか?
 日々の生活はどんどん簡易になり、いろいろなことが金さえ出せば他人に代行して貰えるようになってきているが、納豆一つとってみてもそれは言えるのかもしれない。
 とはいえ、車を十数分走らせなければ外食にもありつけない実家に帰った暁には、私はまた前夜冷凍庫から降ろして解凍させた納豆にありつく毎日を送るのかもしれないのである。

 何はともあれ現在のところは、後始末をせずに済むことを感謝しつつも、納豆を頂く日々なのだった。


 あ、納豆自体をあんま好きじゃなかった時ってのもあったんだけどねー。



Thinking Things / Witch with Wit~*
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