花よ、私と踊りましょう
第二章 見つからないピースを填めることはできない
翌日の昼過ぎ。街道を辿るリージャたちの視界に、目的とするコルネール男爵の領地が現れた。
広い丘は自然のものを利用したか、人の手で築き上げられたのだろう、その上にぐるりと木製の城壁に囲まれた集落が載る。周囲では収穫を終えた畑が一息ついていて、遠目にはこんもりとした森がわだかまっていた。
冒険者の宿もないような小さな村だ。一行は門をくぐると、板葺きの家々が並ぶ中まっすぐ、男爵の居城を目指した。遠方から運んできたのだろうか、村の中でその建物だけが赤みがかった大理石で造られていた。控えめなレリーフの上を蔦が覆う。
衛士に用向きを告げると、幾人かの使用人の手を経て家令へと取り次がれ、建物へ通される。
家令が主人を呼ぶ間残された客間で、ふむ、とアレックが感想を漏らす。
「目立った塔や厩舎はなかったな……で、広い庭に明るめの内装、か。
日常的な紛争とは、縁のない地域ってとこか」
庭には井戸の他、菜園などが見えた。
「そうですね、礼拝所も立派でしたし」
外から見た限りではあるが、そこそこの大きさの礼拝所は磨き上げられて、前面いっぱいにしつらえられた花壇には、今は小さなバラや色とりどりのコスモスが踊っていた。
リージャの知識ではこういった礼拝所には、為政者のための
至高神や民が祈る
大地母神が
合祀されているのが普通である。
「ラーダも祀られてるかもしれないわね、ここだと」
「あ、そうですね」
そんな話をしながら、濃い赤の布が張られたソファに身を落ちつけていると、ほどなく皺の目立ち始めた頃合いの男性が先ほどの家令を伴って現れた。
綺麗に櫛の通された白髪と、灰色の目からは実直そうな印象を受ける。都会の貴族のように恰幅のよいわけではないが、深緑色の上衣は、質の高さと趣味の良さを伺わせていた。
彼は出迎えて立ち上がった冒険者たちを軽く撫でるように見渡すと、口許にわずかな笑みを刻んだ。
「高名な冒険者であるとお見受けするが」
それを受けて、アレックが苦笑する。
「コルネール男爵ですね、アレック=フォスターです。
そちらの手簡を携えた遣いが、こいつ
いや、"これ"」
「"鎧の"オーグル=ハイマンだ」
もの扱いされたオーグルがすかさず、説明を奪い取る。今は微妙に反響している声しか聞こえないが、さぞかし兜の中ではにやりと笑っていることだろう。
「冒険者の宿に当てがなかったようなんでな。この俺が、懇意にしている宿まで案内を買って出た、というわけさ。
王都に出入りしているなら、『月光華亭』の名を聞いたことはあるんじゃないか?」
「噂はかねがね。今まで縁はありませんでしたがな。いかにも、私が当家の主です」
微笑を浮かべたまま軽く頷く男爵に、残りの面々も挨拶を返す。
「ルシェと云う、宜しく」
「シメオン導師の指導を受けています、ラズローです」
ルメリアの自己紹介の前半は、コルネール男爵が魔術師ギルドの出資者の一人であることを意識したものであったろう。
それに続こうとしたリージャは、自分の名を舌に乗せようとして、
躊躇した。
ギルドの外では、苗字は名乗らない。それは自分自身を養う手段の一つに冒険者という職業を入れたときから、リージャが自らに課した約束の一つである。
ただし、相手が魔術師ギルド関係者の場合だけは別だった。ローランティアの名は、リージャには義妹にあたる実子、シャンティーヌとも分け隔てなく慈しんでくれ、オランの魔術師ギルドへ入ることを勧め、入学を助けてくれた養父母のものだ。その縁は否定するべきではないと思った。
しかし、リージャが初めて冒険者の宿に足を踏み入れたのは、リージャとの間に出た縁談を厭ったシャンティーヌが家出を決行したからだった。結局彼女はすぐに、こっそりリージャが連絡を取った養父に連れ戻されて、月光華亭に残されたのは冒険者として仕事を始めたリージャだけだったが、
その妹が結婚したという。
悩んでいたのはおそらく一瞬だった、誰かにいぶかしまれる前に、という急いた気持ちもあった。
「リージャス、……ローランティアです」
決め手は結局、自分が姓を名乗るのをやめることなど、誰も望まないという自覚だった。
縁を否定するのと変わらない。……それは解っているけれど、それでもためらいを完全にぬぐい去ることはできなかった。
「僕もオランの魔術師ギルドで学びました。現在は王都を離れていますが」
ルメリアに倣って付け加えたその言葉に、男爵は目を細めた。
「ほう、それはそれは……、ご存じかもしれないが、当家は代々、そういった方面とは縁が深くてね。
息子もギルドで修行させました。今は家の手伝いをしておりますがな。
孫娘も、十五になったらギルドに遣ろうと考えとります。その折には世話になることもあるでしょう」
それで挨拶は済み、男爵は冒険者たちに着席を勧めて茶を持ってこさせる。
リージャは仲間たちと同じように再びソファに身を沈めると、つまらないこだわりを頭の中から追い出すべく、男爵の話に専心した。
「さて、詳しい話に移る前に、一つあなた方に伝えておかねばならんことがあります。
書き付けの写しはご覧になったことと思いますが」
ええ、と代表してアレックが相槌を打つ。もちろん、後から合流したルメリアにも見せていた。
「あれには敢えて記さなかった文句がありましてな。
署名の一部なのですが……」
それを聞いたルシェは頭の後ろで手を組んで、背もたれに大きく体重を掛け、問い返す。
「
ほう、ソイツはまた……何か、都合の悪いことでも?」
率直な表現に男爵は苦笑する。
「都合がよい、とは申せないのは確かですな。
書き付けには、こうあったのですよ
」
側に控えていた家令が渡した羊皮紙を、男爵はテーブルの上に載せ、示した。一同は思い思いの姿勢でそれを覗き込む。
一筆箋ほどの大きさのそれには、インクの跡も鮮やかにこう記されていた。
父とフラックスのために。
L.Bipartita Cornell
「コルネール、……?」
誰とはなしに、その名を呟いた。
眉をわずかに動かし、アレックが確かめる。
「
代々、魔術師の血筋であると伺っていますが」
「いかにも、しかし、当家の家系図は、世が剣の時代に至ってからのものしか残されとらんのです。そして、その中には、『ビパルティタ』という名は記されていない」
男爵は女中が供したティーカップを取り上げると茶を一口含み、皆さんもどうぞ、と再度勧める。それじゃ、と目礼してリージャは自分の目の前のカップを手に取った。
男爵が続ける。
「しかし、このフラックス、という名については記載があります。
初代当主の名ですな」
そっちから来るのか。
「では……、その縁者と考えてよろしいのでしょうか」
こちらも儀礼的に茶を一口飲んで、ルメリアが問う。男爵は同意を示して頷いた。
「確とは言えませんがな」
「その人物の、研究室だったってことですか?」
重ねたリージャの問いには、男爵は言葉を探すふうだった。
「その
私は確かに古代語に嗜みはありますが、
そう、遺跡の内部を実際に確かめてはおりませんのでな、詳しい状況は判りかねるのですよ。
当家が現地の調査を初めに依頼した冒険者の諸君が、これらを持ち帰りまして、私はここでそれに目を通したという次第です」
「ああ……、行方不明者が出たとお聞きしましたけど」
「さようです。
そうだ、彼らをお呼びしましょう。直接話をお聞きになるとよろしい」
部屋に招き入れられたのは、三人組の、全員が人間からなるパーティーだった。
リーダーはグリフィスと名乗る、年の頃は二十代にさしかかった頃の青年で、冒険者としては標準的な体格と動きやすそうな服装から
戦士系かと思われる。
もう一人は膝上で折り返した若草色のキュロットに、チュニックを重ね着した、やはり同じ年頃の女性で、モルガナ。
最後はロイドと言い、長めの上衣にゆったりとしたズボンを両のくるぶしの上で縛って留め、
芸術神の聖印を下げた、二人よりはやや歳の行った痩身の男性。
リージャはそれぞれの顔にそれぞれの憂いを見て取る。特に目立つのはモルガナで、目の周りを何度もこすったのだろう、赤くなった跡が痛々しい。
互いに挨拶と自己紹介を軽く済ませ、口火を切ったのはアレックだった。
「こちらの男爵に、遺跡探索の依頼を受けた
ということだそうだが」
いえ、と受けるのは、三人の中でもやや冷静さを残しているロイドだ。
「そもそも私たちは、村に一夜の宿を求めた旅の道中の者だったのです。ですが、借りられる軒先を探しているときに、こちらのお城のお嬢さんとお会いしまして」
おおかた、先ほど領主が言っていた孫娘のことだろう。
「私は楽器をたしなみますし、語れる冒険譚もそれなりにありますのでね。それを乞われてお城にご厄介になった次第です」
ロイドはそこまで語ると、ふう、と大きな溜息をついて目を落とす。後を引き取るのはグリフィスだ。
「夜になって、こちらの男爵が出してくださった先祖伝来の図版をいろいろと見ていたときだ、モルガナとセルウィン
ああ、俺達のパーティーの
精霊使いだ
その二人が、あるものを見つけた」
「あるもの?」
リージャが繰り返すと、グリフィスは隣に座ったモルガナの様子をちらりと気に掛けながら続ける。
「領地を描いた古地図の模様に隠されていた、文字だ。それを辿ってみると、
下位古代語と
共通語が混じったような文になっていて、地図の中のある地域に隠された施設がある、と記されていた」
男爵が静かに注釈を挟む。
「当家では、『母の森』と呼び、開墾などせぬように言い伝えておりました。
しかし、そこに何が眠っているのか、という伝承は失われてしまっておるのです」
「あた、しが……」
モルガナが耐えかねたように、目の前のテーブルに両手を突くと絞り出す。
「あたしがいけなかったの、確かめてみたいなんて言ったから!」
立て付けのよいテーブルはびくともしなかったが、置かれた指先が白くなっている。余程の力がこもっているのだろう。
グリフィスが脇からその肩を掴む。モルガナの上体が少し傾いだ。
「違う、
責任があるのは俺だ、リーダーの俺なんだ」
「グリフィス」
モルガナを挟んで座るロイドが言葉を探しあぐねて、口を何度か開閉させる。
「それは
……」
「おいおい、そういうのは
他所でやってくれよ」
片手を、否、籠手の片方を掲げて彼らを制したのは、オーグルだ。
「俺達が聞きたいのは原因じゃない、結果だ。
あ、いや、あんたらが、まだ俺達には得体の知れない森の主とやらを怒らせちまったとか言うんなら、二の轍を踏まないようにその原因もありがたく聞いていくところだがな。……しかし、今のはそんな話じゃない、
だろう?」
「んだな」
問いかけにはルシェが応じて、足を大きく組み替える。
「なぁに……、何が起こったか聞いて、何とかする。
その為に、俺等が、来たんよ」
兜とミニグラス。それら越しに力のこもった視線を投げかけられ、グリフィスは我に返ったようにモルガナに掛けていた手を戻し、座り直す。
体勢を直したモルガナは二度、息を吸うと、決然とした声で応えた。
「
はい」
それを待って、男爵も言葉を重ねる。
「正式な依頼をしたのは私です。君たちはそれを忘れることのなきよう」
一連のやりとりを見守っていたアレックは、場の空気を切り替えるようにカップを持ち上げると、茶を一口飲み下した。既にあらかた冷めていた。
「……資料を見付け、男爵から依頼を受けた、だな
続けてくれ」
再び話し出したのはグリフィスからである。
「地図にあった場所は男爵のお話の通りの森の中で、特にそのあたりだけは土が盛り上がって丘のようになっていた。そこに、埋もれるようにして石造りの入り口がある。
中は、俺達の見立てでは五部屋。そのうち四つは
ええと」
モルガナ越しに投げかけられた視線を受けて、ロイドが指を折る。
「書庫に道具か何かの倉庫、あとは私室などの居住空間が二部屋でしたね」
「そこまではありふれた造りね。もう一つは?」
ルメリアの確認に頷いたグリフィスが、テーブルの上で軽く組んだ両手をわずかにひねる様子から、話しづらいのだろうと窺えた。
「
初めは他と一緒で、薄暗い部屋だった。
机のようなものに、白く光るこのぐらい
」
両手を解いて、輪を作る。
「の、球体があって、一目で魔法の品だと思ったな。あとは巻物や書物が机と言い床と言い積み重なってて、他には何もないように見えた」
「明かりはたいまつを使っていました。床などを調べたモルガナが、罠がないと言ったので、彼女……セルウィンがその球体を調べるために近づいたんです」
「
あたしが判るのは、仕掛けを使った罠だけだけどね。とにかく、そういう奴じゃなかったっていうのは、断言できる」
三人はそこまで一息に解説すると、互いに視線を交わした。グリフィスが続ける。
「セルウィンは、その他のものは何もいじってなかった
と、思う。
その球体を調べようとして手を触れた瞬間、そいつは強い光を放ったんだ」
その時を思い出してか、グリフィスは目を閉じる。眉間に皺が刻まれていた。
「すごい光で、俺達三人は目を
灼かれて……、やっと周りが見られるようになったら、セルウィンはどこにもいなかった
かわりに、
怪物がいた」
最後の一言は、吐息と一緒に吐き出された。モルガナが弱々しく言い足す。
「……デーモンだと、思う」
「手紙にあったのが、それですか」
リージャの問いにモルガナは頷いて目を伏せた。
「種類は、わかんないんだけどね。うちでそういう頭脳労働、セルウィンの仕事だったから。あたしも少しあの子に教えて貰って、下位古代語ぐらいは読めるようになったけど」
「だが
俺達じゃ太刀打ちできないのだけは、はっきりしてた」
グリフィスも、開いた目を同じようにテーブルに落とす。
「そうか。
依頼は、再調査とのことですが」
ねぎらうような声で短く相槌を打ったアレックは、視線を男爵に向けて確かめた。
「そうですな……、遺跡自体の解明はもう望んでおりません。だが、
魔神が領地に息づいているとなればそれは脅威です。
従って、その脅威の排除、あるいは、魔神が領地や領民に害を及ぼさないことの確証がほしい」
「そういうことでしたら、承りますわ。
まあ、そのためには、遺跡で手がかりを探し回ることになると思いますけれど」
そう返したルメリアに合わせて、男爵も少し苦笑した。
「そうなるでしょうな。それと
図々しいお願いになるかもしれないが、できればセルウィン君の救出も頼みたい」
☆
月光華亭の冒険者達には、三部屋が用意された。
すんなりと部屋割りは決まり、晩餐を終えてしばらくすると、それぞれが与えられた部屋へ引き上げる。
リージャは暖かなランプの光が濃い色の壁紙を照らす部屋で、午後に聞いた話を思い返していた。……魔神、か。
三人、特にグリフィスとモルガナはだいぶ憔悴していたようだった。それでも明日は遺跡の入り口までの案内をすると請け合い、晩餐はしっかり詰め込んでいた。いい冒険者だな、と思う。
結局現段階でいろいろ考えても得るものは薄く、行ってみるしかない、という結論に落ち着いて、他のことを考えることにする。
そういえば、と同室となったオーグルに問いを投げてみた。
「何の話であんなに盛り上がってたんだ?」
晩餐とそれに続く談笑の間中しきりに、オーグルは領主の孫娘を笑い転げさせていた。
「ああ、リナリアか。何も、普通の話をしてただけなんだがな。
どうしてまた?」
リージャはにやりと笑って言う。
「だってさ、お前が女の子相手に、普通の話をして楽しませることができるなんて、珍しいじゃないか」
「お前なあ、仮にも交流と笑いの神の神官を捕まえて、何を言ってるんだ。
と言いたいところだが、そうなんだよ。あの子は聞き上手だな。話し上手に聞き上手、優れたチャ・ザ神官の素質があるぞ」
ってそりゃ、伝道師のせりふかよ、いや、あながち伝道師でも間違ってはいないのか。
「学院に入れる、って話じゃなかったか?」
「だよな、もったいないと思わないか? 学院なんて偏屈連中の集まりだぞ。父親はうまいこと嫁さんを捕まえられたのかもしれないけどな、娘をあんなところに入れたが最後、あっという間に立派な嫁き遅れの一丁あがり、だ。
ああいや、中には愉快なのもいないじゃないが」
「そりゃどうも、ご配慮ありがとう」
「……どういたしまして」
この、変に素直なところがオーグルは時々卑怯だと思う。
ベッドサイドには卓がしつらえてある。飴色の天板の上には、青い釉薬で森や動物たちが描かれた陶製の水差しと、揃いのカップが置かれていた。
リージャはカップの鹿をなぞった。昼間、門をくぐった時にも感じたが、この城の調度は、暖かみを感じさせる、よい趣味だ。
どことなくほころんだ気分を感じていると、オーグルがそれを察したのか、部屋の四方を大きく振り返って言う。
「
城ってのもいいもんだな。なんせ鎧をずらりと並べても誰も文句言わない。それどころか雰囲気がいいと褒めてくれるぐらいだ。おまけにその堅牢さといったら、ただの民家とは比べ物にならん。俺もひとつくらい欲しいと常々思ってるんだが、どっからか降ってこないもんか」
たしなめを待つようないつもの調子に、リージャは苦笑する。敢えてそれには乗ってやらない。
「どんな城がいいんだ?」
「どんな、って
」
オーグルは目線と舌をさまよわせる。
「お前、そりゃ、あれだ。
変形合体は欠かせないな」
どんな城がいいんだ。
お前、実のとこ何も考えてなかったろ。……まあ、それもいつものことか。
「どんなだとしてもお前の城なら、騒がしいのだけは確かなんだろうけどな。
旅芸人とかいつもいて」
「あ、それいいな! 来ないかなあ、グラスランナーだけの一座」
リージャは笑う。
そのまま、何も言わずに水を注いでカップに口を付けていると、オーグルはそれが物足りなかったのか、肩をすくめて吐き出した。
「でもまあ、夢だよ、夢。あるいは、酒の席での与太話だ。
いくら名前が売れようが、俺達は結局冒険者に過ぎない。どちらかと言えば、こうやって他人の城に出入りしているわけで、旅芸人の方に近い身分だよな。根無し草ってやつだ、ひとつところにじっとしてられるって性分じゃないんだ。
そうだろ?」
……リージャはカップを手にしたまま、ゆるく瞬く。
オーグルは気負わずに相槌を求めただけだった。そしてリージャはうなずくことができない。
あるいは、これを言ったのがオーグルでなかったなら、リージャは即座に打ち消すか、冗談めかして続けるかできたのかもしれない。
なんでそれをお前が言うんだ。いや、お前だからそれを言えるのか。
根無し草と言っておいて、それでも、オーグルならばその上でも、自分のいる場所こそが居場所だ、と言い切れるのだろうから。僕にはそんな強さはない。いつだって拒まれることを怖れて、本当にほしいものを口に出すこともできない。
仕方がないんだ、と、言い含める自分も頭のどこかにいる。だって、うなずくことができないのを、オーグルは知るはずもないんだ。僕が使う家という言葉を、きっと、ちょっとした常套句程度にしか思っていないんだろう。ある時までは自分でもそうだった。
大地母神の神官であり、
治療者でもある養母は、リージャがこの道を進むことを助けてくれた養父と同じように、リージャの価値観に計り知れない影響を与えた。養母が切り盛りする小さな神殿で、幼い頃から、数多くの門出や旅立ちを見送ってきたリージャが、いつかきっと愛する人たちに囲まれた家庭を築いて、先祖から代々伝えられてきたものを後の世に残したい、と思うようになったのはごく当然のことだったろう。
けれど、シャンティーヌとの縁談が出たとき、首を縦に振れなかったのはリージャも同じだった。
どこまで父母たちが本気だったのかは判らない。けれど確かに、リージャとシャンティーヌをめあわせて、ローランティアの家を継がせようという話は出ていた。
そして今、義妹は夫を得て、村の神官として収まったのはアレックに語った通りだった。
立派な跡継ぎ夫婦がいるというのに、
……このまま僕がローランティアを名乗り続けてもいいのだろうか。
男爵に挨拶をしようとした時、リージャの口を一瞬塞いだのはその気掛かりだった。
かといって、それでは自分はどこの人間になるというのだろう。
生家はたぶん長兄が継ぐ。彼も先年、身を固めたことだし。
自分のほしいものが、単なる夢や憧れでもなければ、決まり切った未来などでも決してない、と気づいたのはいつのことだったか。
でも、今オーグルにそれを正すのは、まさに怖れているそのものと同じことだ。
好意や信頼に身を委ねることはできる。だけど、本当は理解してほしい。
そのために敢えて踏み出す勇気を持たないことを自覚した上で、こういう時には、それが叶わないことを思い知らされる。
どうしてだ。
仕方ない。
「
リージャ?」
オーグルの訝るような呼びかけが聞こえた。リージャは頬を引き上げて、諦めに似た溜息をつく。まるでオーグルに向けたみたいに、聞こえればいい。
「……、
まあ、お前の場合、アビィさんもエルフだからなぁ。家庭を持って、街や村に根を下ろすってのとはほど遠いよな」
リージャはオーグルにゆかりの女性の名を引き合いに出して応えた。……これくらいの口調なら、隠しおおせただろうか。
皮肉になりきらないような、いつもの軽口のような。
オーグルは満更でもなく笑んだ。
「ま、そうなんだよな」