花よ、私と踊りましょう


第六章 甘く痛き身勝手こそが夢なれば

「どう、るめにゃん、お勉強ははかどってる?」
 一人掛けのソファの背もたれに体重を掛け、前の脚を浮かせて遊びながらルシェが聞く。
 動きやすいようにきっちりと結っていた髪をいつの間にか解き、床いっぱいに広げた羊皮紙を見比べていたルメリアは、目を離さずに答えた。
「いいえ   、書庫で抜けてたところの本がこっちに来てる、ってことが分かっただけね。
 主に召喚魔術の秘術……、まあ、ここに実際に魔神(デーモン)がいるのだから、当然のことでしょうけど」
「ふぅん?」
 気のなさそうな返事のルシェの膝の上には、いつの間にか身を落ちつけたサイベルが、こちらも主のことなどそ知らぬふりで、前足で顔を洗っている。
「……夢の中の、あの   学院生活、とでも言えばいいのかしら? そのヒントでも見つかればいいんだけどね」
 ルメリアに合わせてか、いつの間にか濃い紅紫色の背表紙の小さな書籍を手にしていたベゴニアが、そこから視線を上げて語り始める。
「……そういえば、そなたらは『学生』として暮らしておったようじゃな」
「ええ、そのようだけど……?」
 ルメリアのはっきりとした記憶では、教師は偽のクルトだけであった。
「ほう……興味深い。そなたらはビパルティタに『仲間』として認識されておるのじゃな。蛮族を愛した女らしいこと」
「蛮族を、愛した……?」
 先ほども確か、蛮族がどうこうと言っていなかったか。


       ★


 一方、幻想世界のリージャたちは、この世界で目覚めてからの出来事を細かく洗い出していた。
   そういえば、オーグルって、シャンティとあんなに親しかったっけ?」
「……ん? いや、しばらく前にいっぺんかそこら、会って話しただけだな。あんなふうに向こうから挨拶してくるとも思えないし、彼氏だったか? ……といるのを見た覚えもないぞ」
 ゴミ集積場の近辺でのことを思い出し、リージャが問えば、オーグルが答える。そんなに細かく答えなくてもいいよ、と思っていると、アレックが反応した。
「彼氏、か   結婚するって話だった?」
「ああ、……そうでしたね。同一人物でした」
「え、結婚だって? 妹さんが? ……そりゃおめでとう、先越されたな」
「……ありがとう」
 思わぬ話題の連鎖にリージャは苦笑させられる。   そういえば妹どころか、その結婚相手ともなればなおさら、オーグルが知るわけもない。
「ってことは……、あの二人と、あと僕の家族は、僕の記憶を元に作られてた幻覚、ってことになるかな」
 整理したリージャの説を聞いて、アレックは困惑の表情を作り、黙考に沈んだ。
   どうしました?」
「いや……この件には関係無いだろうしな、先を頼む」
 怪訝に思いながらも、関係ないと言われれば追及することもできない。リージャは頭を巡らせて、出来事を思い出す作業を続けた。
「……先生たちには見覚えなかったですよね。まあ、古代王国人に知り合いはいないですけど」
 これまでに三人が見かけた教師は、すべて、額に黒水晶が填められていた。それが魔力の塔から魔力を供給するための装置であり、カストゥール王国末期の技術であることは、魔術師(ソーサラー)であればほとんど常識である。
「……その中に術者がいる可能性がない訳ではない、か。 職員室   だったかへ行ってみるか」


       ☆


 ちょうどチャイムが鳴って、近くの教室の時計を見れば、一時間目が終了した刻限である。
 記憶を辿って職員室に向かえば、生徒や教師がせわしなく出入りしている様子が見て取れる。
「やはり、教師は古代王国人が多いか……それ以外で判ったのは、教師にも知人が使われてるって辺りだな……」
 しばらく眺めて、アレックが溜息をつく。魔術師ギルドで行き会ったことのある導師の姿もあった。現代人の中で自分の知らない顔は、おおかたリージャやオーグルの知人だろう。
「もう少し近づいてみないか? 怪しまれるってこともないんじゃないか」
「……オーグル、僕たち一応一時間目ずる休みしてるんだけどな、しかも中間テストを」
「気にしない気にしない!」
 まあ、リージャも本気で止めるつもりはあまりない。入り口まで近づくと、三人は中を窺った。セルウィンも数歩遅れてこそいるが、きちんとついてくる。
「……すまん、近づいてもわからないものはわからなかったな」
 さっさと提案者であるところのオーグルが投げ出す。アレックは根気強く中を確かめていたが、リージャも、他の手がないか記憶を探るほうに切り替えた。
「……偉そうな人がいるところ、っていうのはどうだろう。校長室とか」
「ああ、いいな、いかにもボスっぽいもんな、校長は!」
 どうしても緊張感に欠ける二人のやりとりにアレックは苦笑する。   その背に、声が掛けられたのは唐突だった。

「あれ、アレック先輩発見ー、どーしたんですか?」
 その声にアレックは、ぎこちなく振り向くのがやっとだった。……そしてそこにいるのは、顎までの金髪を揺らした少女。   無論、この声を聞き違えるはずもない。
「入るんですよね? 職員室」
「ああ……いや……」
 部屋を指さして彼女は尋ねる。アレックは何とか声を絞り出し、そして、それが肯定の返事のようにも聞こえることに気づき、すぐに訂正した。
「え、アリア……?」
 リージャが横で疑問の声を上げている。アリアはそちらに向き直り、笑い掛けた。
「あ、リージャ先輩までいる、あっやしー」
 二人の顔見知りと見て、オーグルがリージャに小声で問い質す。
「こいつは?」
「……あ、アレックさんの……いや」

 リージャは即答しようとして、すぐさま最初に浮かんだ言葉を押し込めた。先輩、とアリアは呼ぶ。しかしリージャの『正しい』記憶では、アリアはアレックの、……似ていない妹だ。
……一度だけ、リージャは、義理の両親が持ち出した縁談のことを、アレックにぼやいたことがある。それについてアレックは静かに聞いていただけだったが   
 シャンティに対する接し方について口にしたときだけ、掛けられた言葉があった。
『……まぁ、最初から家族だったより、家族になった相手の方が、難しいもんだよな』

……リージャは植え付けられた、偽の記憶の方を探り出し、答えた。
「……アレックさんと僕の、塾の後輩だよ」
「……そうか」
 元の世界にも存在している言葉をいったいどちらに解釈したのか、オーグルは何も言わない。
 黙り込んだままのアレックを放っておいて、アリアはリージャに話しかける。
「あ、そーそー、模試結果出てましたよっ、今リーチだから、次トップテン入りで粗品ですよねー?」
 アリアが持ち出したのは、まさにその仮初めの関係の話題だった。
「……あ、うん」
「何貰ったか教えて下さいね? 友達と皆で当てっこしてるんです」
 まあ、このアリアが、自分たちの記憶が作り出した幻なら、当然なのだろう。無邪気に笑うアリアに、リージャも不自然にならないよう、微笑を返した。
「……えっと、テレホンカードとからしいけど」
「えー。図書カードとかが普通じゃないですー? 公衆電話もないのに」
「……確かに」
「今時、携帯持ってない奴も珍しいよなあ」
 オーグルも会話に加わってくる。
「で、塾のロゴがしっかり入っていて、金券ショップにも持ち込めないって落ちだな。そうだろ?」
 あるある、と笑うアリア。リージャは二人を見て苦笑した。
……そこに投げ込まれたアレックの声は、異様なほど落ち着いていた。
「……そーいや、そっちの成績はどうだったんだ?」
「もー、散々ですよー、パパにもお説教されたしー」
 リージャは横目でアレックの表情を窺う。……その意図をすくい取ることはできなかったが、   口許にだけ、苦い笑みを浮かべてアレックは続けた。
「……そうか、お袋さんは?」
「ママはほら、あたしが調理師学校行きたいの知ってますし?」
 その返事に、アレックは微笑を顔全体に広げる。
「そうか……そうだっけな」
 一瞬の間。
「……済まん」
 その言葉をアレックは、アリアの幻想に向けて投じた。
「アレックさん」
 つい、抑えきれずに声を掛けたリージャに、アレックは向き直る。
 リージャは、その瞳の昏さにはっとさせられる。
「……一つ、判った。

 ……この世界は、微温湯(ぬるまゆ)の様なモノ、だ」

 そして、魔法の作用か   まさに、魔法のように、としか表現できないことが起きた。
 アレックの姿が白い光に埋められたかと思うと、   瞬く間にすべてが、泡のように消え去っていた。


       ★


 古代王国期の貴族階級と、そして、蛮族   今や大陸じゅうに国家を繁栄させている、現代人との間の愛。
 それが何を指すのか。……ルメリアは、そもそもの依頼人の顔を頭に浮かべながら思案する。
「じゃあ、コルネール男爵家に魔術師の血を伝えたのが、やっぱり……?」
 それには答えずに、ベゴニアは部屋の隅を見やり、にたりと笑う。
「はて、仲間は、何人呑み込まれたのであったのかのう……?」
 はっとして振り返れば、そこには青白い顔のアレックが立っていた。
   アレック?」
 呼びかけても、反応はない。表情すら忘れたように、その顔も動かなかった。
「どうしたの……? 何を見たの? …………」
 魔神は心から楽しむように、声なく笑っている。   ルメリアは思い当たったことを、おそるおそる、口にした。
「……誰に、会ったの……?」
 アレックの口許だけが歪められる。
「………ふっ」
 一度堰が切れてしまえば、あとに待っていたのは爆発だった。
「ふっ、くっ、ははっ、はははっ、ははっ…………あはははははははははははっ!」
「アレック……、」
「アレックが壊れた……悪い方向でもう壊れた……」
 ルメリアの気遣わしげな声も、ルシェの無責任な感想も届かない。アレックは体を折り曲げ、衝き動かされたようにしばらく笑いを続けると、やがて息を切らして、肩を上下に揺らす。
「ははっ! はっ、はっ、はぁっ、はぁ……っ」
 やがて顎を上げたアレックは、双眸にありったけの殺意を込めて、魔神に叩きつける。
   最高の悪夢を……どうもありがとうよ……っ!」
 魔神は肩を揺らして、ただ笑っている。
 ルシェが立ち上がる気配を察して、その膝からサイベルが飛び降りた。ルシェはそのまま静かに歩を進め、アレックの横に立つ。
「お前さん、何見たとか何あったとかは聞かないけどな……熱くなりすぎだよ、これで頭冷えないってんだったら冷えるまで殴り飛ばしても良いけどどうするよ、アレック=フォスター?」
 アレックは魔神を睨み付けたまま、口許をゆがめる。
「……ああ、それも悪くないな、後でなら頼もうか」
 ルメリアはアレックの痛みを見守ることしかできない。
   悪夢。
 確かに自分にとっても、あれはそうとしか言えないものだった。……しかしこれほど激するアレックは、いったい何を見せられたというのだろう。
 ベゴニアが二度、音を立てて手を叩き、口を開いた。
「これは異な事を」
 まだ殺気立つアレックを案じて、ルメリアも静かに、魔神との間に割って立つ。
「妾は世界を創った、しかし、世界の登場人物はさにあらず……」
 ベゴニアは歌うように続けながら、右手の人差し指の先をアレックに据える。長く伸ばされた爪が、赤く塗られているのがわかる。
「そなたが世界の中で、何を見、何を耳にしたとしたとしても、それは妾に帰する所とは言えまい」
 アレックの声は、擦れ、しわがれていて、いっそ呪詛じみていた。
   ああ、そうだろう、貴様は世界律を定めただけ、あれを生み出したのは、他ならない俺自身だ……!」

   調理師、その言葉を己の耳が拾い上げたときにアレックは、目の前のアリアの……夢の世界の仕組みを覗いてしまった。
 セルウィンは『やさしい世界』と言った。それはある側面から見れば、真実を適確に突いていた。
 現実のアリアが料理人を夢見ていたことを、アレックは知っている。リージャもアリアとの面識はあるが、冒険者仲間としてや魔術師ギルドの中で知り合っただけの間柄では、そこまでは知りえないだろう。
 それはとりもなおさず、調理師学校を目指すアリアが、アレックの知識を元に作られていることを示していた。おそらく精神魔法の作用、と見当は付けられる。
 あの世界を構成する魔法は、アレックの精神を覗き、その知識と、一度は抱いたことを否定できない願望を、暴き立てた。

   アリアが、本物の両親に愛され、生活していること。

 兄と妹ではない自分達。
 しかしその関係、……親しみを表しながらも先輩後輩としての適度な距離を保って接するアリアの姿は、アレックを叩き落とすには充分だった。

 アレックの言葉に、夢の世界の仕組みを察し、ルメリアがベゴニアに向けたままの顔を強くしかめた。
「……生み出した…ああ………、……ちっ」
   どこまでも自分を甘やかし、望むものを与えてくれるクルト。都合よくねじ曲げられた彼の姿。心の一番奥で、大事に育てているものを汚されたような気がした。そんなものくれなくても、私はクルトが好きなのに。
 気にした様子もなく、ベゴニアは続ける。
「だが、妾からは礼を言わせてもらうぞ、蛮族。……そなたの悪夢、楽しませてもらった。(もつと)も、あれがそなたの申すところの悪夢、だと言うならばな。甘美であり、同時に(いとけな)いものよ……」
「……あんな」
 背から聞こえるアレックの声から表情が抜け落ちているように、ルメリアには聞こえた。
「あんな微温湯でしかない悪夢の産物が、甘美だと……?」
 アレックは瞑目し、食いしばった歯の間から言葉を漏らす。
「稚気は……認めよう、俺が、俺自身が、楽になりたい、ただそれが故に生まれたあいつだ」
「左様、甘美なこと、この上ない」
 ベゴニアはティーカップを取り上げると、金の匙でそれをかき回す。まるで満たされた紅茶の中に、蜂蜜でも垂らされているかのように。
「このような狭苦しいところで、五百年の長きにわたって、埃の他に話相手も持たず……異界にとどめ置かれる妾の身にもなってみよ。   人間よ、そなたらは『同情』というものを持つのであろう?」
 にい、と吊り上げた両唇の端の間にかすかに覗いたのは、ただ真っ赤な空間だった。
「……言いそびれていたが、妾はそなたらを歓迎しておるのじゃぞ。心の底からな……」
「……ふん、悪趣味ね」
 今度こそ、ルメリアははっきりと吐き捨てる。背後ではアレックが閉じていた目を片方だけ見開いた。
「……やはり、そういう事か……、
 貴様も、あの世界に縛られている、そうだな……!」
「ほう……」
 擦れたままの声をそのまま無理矢理絞り出したアレックに、ベゴニアは眼を細め、自分の顎を爪の先でなぞる。 
「人間はこういった時、両手を挙げて言うものだったか。たいした眼力と言えような……」

 魔神は契約に縛られ、物質界に封じられている現状に()んでいる。
 五百年もの間、このような上位魔神(グレーターデーモン)   あるいは魔神将(アークデーモン)を使役し、維持するような幻覚の世界とは、どんなものなのだろうか。
 ルメリアは思案に沈む。
   ……今の現実とはかけ離れた、夢の世界……」
「……そして、心の片隅で望んだかもしれない、醜悪な幻想の世界だ」
 アレックが淡々と続ける。その声の調子に回復のきざしを聞き取って、ルメリアはベゴニアと相対していた自分の身を退かせ、アレックに向き直る。
「……箱庭みたいなきれいな世界……ええ、本当は気味の悪い世界ね。そしてそこに居るのは……」
   その言葉を舌に載せるには、少し息継ぎの間が要った。
「私、クルトに会ったわ、あっちで」
 それを受け、アレックも口を開く。
「俺は……」
 言いよどんだ音は、ひとつひとつゆっくりと絞りされる。
「いもうと、だ」
 ルメリアはそれ以上深く確かめようとは思わなかった。……自分が見せられたものですら、誰かに語りたくはない。ましてやアレックの、普段の冷静な仮面を脱ぎ捨てるようなもののことなど、聞けるわけがない。
「……確かに、ある意味私の望んだ彼、なのでしょうね」
 ルメリアは認めざるを得ない。敢えて明るい声で、ルシェは続ける。
「ならその相手を見て、コイツ間違ってる、と思えば戻って来れる、って寸法かい?」
「……ああ、それに違いない筈だ」
 頷いたアレックの、仕草だけは、もう完全にいつもの沈着さを取り戻したように見えた。
「そう考えてよさそうね」
 ルメリアは服の上から、首の下をそっと押さえた。……そこには、冒険中には左手の薬指から外しているいつもの指輪と、もう一つ、いつか同じ指に収まるはずの指輪が吊してある。
「……ある意味では、俺は、あの少女を否定し、殺した……そういう事になる、か」
 口に苦い笑みを浮かべ、淡々としたまま、アレックは言う。   ルメリアはそれを力強く否定した。
「私はそうは思わない」
 声と同じ強さで、ルメリアは顎を上げる。
「私は、私のつまらない甘えを殺して、出てきたのよ」
 解かれた髪が揺れるそのさまに、アレックは、口許の笑みを、これまでとは少し違う色に変えた。
「……なるほど、な」
第七章 だから、お前なんだ

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© Kazami SHIHO 2008. / © Witch With Wit-* / ©月光華亭