花よ、私と踊りましょう
第三章 花園の隠れ鬼
「セルウィンお姉ちゃんを……助けてあげて、ね」
城で過ごした一夜が明けきろうかという頃合い、二組のパーティーは連れ立って城門を後にする。
さすがに男爵は姿を見せなかったが、代わりに家令と共に見送りに現れたのは、昨晩紹介された孫娘、リナリアであった。
よく洗濯された木綿のシャツに、草木で染めた色合いのベストと、同じ生地の膝丈のスカート、足元には木靴。手入れされた金髪は、昨日は頭の高いところで一つに縛って三つ編みにしていたが、今朝は最低限の身繕いだけして出てきたようで、そのまま腰まで流していた。
賢者の血筋とあって、十二歳ながらもきびきびとした受け答えの少女だが、まなざしや言葉遣いの端々には未だあどけなさを残す。
そしてその顔には、仲良くなった
精霊使いへの心配を浮かべていた。
「ま、いい子で待ってろ、直ぐに連れ帰ってきてやんよ」
「……うん」
ルシェがぽんと頭に置いた掌の勢いのままに、リナリアは頷いた。
その様子を眺めていたアレックがわずかに目を瞠ったが、
それは誰にも見とがめられることなく、いつもの表情の裏に潜んだ。
☆
「
しっかし、本当に長いこと人の手が入ってない森らしいな」
隊列の中ほどで、オーグルがぼやく。確かにあそこまで着込んだ鎧なら、前を行くグリフィス達が切り開いた後を進むとはいえ、身動きは多少不自由だろう。まあ、今に始まったことではないし、聞いた話では森の中で立ち回りを演じることもなさそうだから、いいけれど。
雑木林の足下からは、手入れされた林には見られない蔓が狭い日向を争うように這い上がって、葉を広げていた。
しばらく進むと、グリフィスが歩みをゆるめて指し示す。
「あの小山がそうだ、見えるか」
その言葉通り行く手には、木立を透かして、底の平らになったサラダボウルを伏せたような形の小山が見えた。
「なるほど、確かに小さな遺跡ぐらいだったら、すっぽり入りそうな大きさですね」
田舎の一軒家に土を盛ったぐらいの大きさか、とリージャは見当を付けた。小山自体も木々で覆われている。
側面に回り込む形で近づいてゆくと次第に、死角となっていた側から、緑の合間に頭を突き出している形で古びた岩が現れる。自然に埋もれたにしては違和感がある。周囲に似たような岩もないことだし。
「あれも遺跡の一部、か?」
アレックが訊けば、半ば首を傾げるように応じたのはモルガナだ。
「たぶん。って言っていいのかな……、あれどけたら入り口が出てきたから、遺跡を塞ぐために置いてたんだと思う」
相対してみれば、男性陣の身長とほぼ変わらない高さの岩だった。幅は抱えるほど、それに対して奥行きは半分ほどもない。モルガナの言葉通り、地面にはそれを引きずった跡が残されていて、岩自体にも土や挽き潰された植物が付着したままだ。
そして、その岩が被さっていたと見られる場所は、これまた岩でできた扉で閉ざされている。
「……
魔神は、あれから出てきていないようだな。空を飛んでいたりしたらわからないが……」
かがんで地面を調べていたグリフィスが立ち上がり、リージャたちに向き直る。
「頼んだ」
事前に確かめたところでは、罠があったのは入り口の扉だけということだった。モルガナの腕の程は分からないが、実際に魔神がいるところまで五部屋を漁って、特に目立ったトラップに引っかかってもいないのだから、同じ場所を捜索している限りでは大した危険はないだろう。
もっとも、モルガナたちが見落としていたものに触れた時のことは保証できないが。
打ち合わせ通りグリフィスのパーティーを表に残して、リージャたちは遺跡へと歩を進めるため、繊細な彫刻の施された扉を開け放つ。
「……結局、頑丈さを考えると、こうせざるを得ないのよね」
ルメリアは、いつもより心持ちふんぞり返る角度の増した白銀の塊が、予告通り先陣を切って踏み込んでいくのを横目に、溜息をついた。使い魔の猫、サイベルは外に残しておく。
「……その子が変な様子を見せたら、すぐに引き返して領主さまに報告するのよ。いいわね、私達のことは捨て置いていいから」
「はい」
真っ先に頷いたモルガナの足元へサイベルは肩をこすりつける。それを抱き上げて、モルガナは続けた。
「
お願いします」
ルメリアが
魔晶石を潰して作った魔法の光が、煌々と遺跡の内部を照らす。一行の前にまず立ちふさがったのは、表の扉よりは簡素な装飾の中扉だった。
「なんだこれは、古代王国人の表札かなんかか?」
オーグルが、そこに架けられた手のひら大の金属片を見つけ、声を上げる。すぐ後ろに続くアレックが覗き込んだ。
「っと、俺が見た方がいいだろ、ちょっと
退け……、
力ある言葉か、こいつは」
表面にははっきりと、
上位古代語が刻まれている。アレックは慎重に、刻まれている言葉が知識のない二人にも理解できるよう、
共通語に翻訳して読み上げる。
「"
命によりこの地を封印する"
あとは、署名だな」
「なんだ、古代王国期の差し押さえの札みたいなもんか?」
オーグルの混ぜっ返しにアレックは首を横に振りかけ、
止めた。
「いや、あえて
力ある言葉である以上、魔術の媒体
いやまぁ、間違ってはいないのか、こいつ自体に特殊な効果がある事を除けばな」
そうね、と応じたルメリアが、念のため、と低く呪文を紡ぐ。
「
"我が声に応えよ、マナの揺らぎを我が眼に"」
魔晶石を潰して発動させた
魔力感知の視界で、金属片を確かめたルメリアは、肩をすくめる。
「やっぱり、効果は失われてるみたいね」
それを聞いてリージャが、金属片を取り上げ、ひっくり返して検める。裏側には窪みがあり、それが扉から突き出している釘のようなものに引っかかる構造になっていたようだ。特にそれ以上気になるものは見つからない。至って単純な、いっそ無骨とも言える造りだった。
「……グリフィスさんたちの中には、上位古代語を読める人はいなかったみたいですから、見落としたんでしょうね。
やっぱり、魔神を封印してたってことかな」
「どうかな、……勿論その可能性は高いが。現状では断言はできかねる、ってところだ」
「……ですね」
アレックとリージャがそれぞれ頷いたのを見て、オーグルは扉に手を掛ける。継ぎ目のない石のような素材でできた、典型的な遺跡の廊下がまっすぐ延びていた。
ここからも見えている突き当たりまではだいたい二十メートルほどだろうか、小山の中にすっぽりと埋まっているのであれば、そんなものだろう。見た限りでは廊下の途中が異空間に繋がっているということもなさそうだ。右に三つ、左に二つと、話の通りに扉が並ぶ。
「
確か左の奥が問題の部屋、だったな。それじゃまずは手近なところから開けてみるとするか。右の一番手前でどうだ?」
最初の部屋には広いテーブルと椅子が二つ置かれ、壁際に棚や箱形の装置がいくつも残っていた。開けられるものはすべて開け、魔力感知もくまなく試みたが、めぼしいものは何もない。ただ、棚に花柄の、様々な大きさの食器が並んでいる様子から、食堂かなにかだったのだろうと推測が立つ。
隣の部屋は私室と見られ、大きめの寝台を、鏡台やサイドボードが取り囲む。ここにも魔力の残滓はなかったが、鏡台に並ぶ香水瓶を眺めたルメリアが呟く。
「ここの住人はよっぽど、花の意匠が好きだったみたいね」
言われて見れば、玻璃の香水瓶の蓋から、鏡や戸棚に施された金属の飾り枠、壁紙、リネン類、果てはブラシの背の彫り物に至るまで、必ずと言っていいほど花を図案化した模様があしらわれていた。使われている花も、百合や色とりどりのバラ、ラベンダーと言った定番のものから、変わったものではカラーやグラジオラスのようなものに至るまで様々だ。
「そういえば、食器も花模様だったっけ」
リージャが思い返してうんうんと頷けば、同じように部屋じゅうを仰ぎ見たルシェは、
「ん〜……、単に女魔術師だったってだけと違うのん?」
かえって怪訝そうな様子だ。
「いや、一つ気に入ったらそれだけっていうのは、どっちかっていうと男の趣味じゃないですか。女の人はこう、かわいい
気に入るって意味ですけど、そういうものなら割と無差別に並べたりするもんで」
そうね、とルメリアも苦笑する。
「同じ一人の趣味でも、時期によって変わったりするものね」
「うん、流行に敏感ってことも大きいと思いますけど、そういうの追わないタイプの人でも結構そうですよね。まあ、この部屋の家具を揃えた時にたまたま、花柄のマイブームが来てただけかもしれないけど、でも普通だったらもうちょっとこう、鳥とか幾何学模様とかのが混じっててもいい感じで」
「……リージャ」
微妙に反響した、絞り出すような声はオーグルのものだった。
「お前……、それを語ってて何か、疑問を感じないのか……?」
「……え、何か変なとこあったか?」
瞬いたリージャが問い返すと、応じたのはアレックだ。
「
いや?」
一言のもとに否定され、オーグルの鎧がガチャンと耳障りな音を立てる。
「……なっ」
オーバーに上半身をのけぞらせてショックを表現しているオーグルを横目に、アレックは腕を組み直すと、もっともらしく深く二、三度頷いた。
「まあオーグルの言いたい事も判らんじゃないがな、女きょうだいがいればこのぐらいは常識だろう、体験的に」
オーグルはうめき声を上げた。兜の奥の頭でこれまでの出会いをよくよく思い返してみれば、確かにそうと言えるような気がしてきてしまった。例外もちらほら思いつくのだが
、それよりも、当の本人の趣味も一般的に女性のものと言われるそれになってしまっている友人知人も思い浮かんでしまい、深く考えるのはやめることにする。結局人それぞれなんじゃないかという気もしないでもなかったが。
「なんてこった……、ここじゃ俺達の方が少数派か……!」
とりあえずはっきりしているのは、この事実だ。
しかし両の手のひらを上に向けて肩をすくめたルシェは言い放った。
「まぁ、アレだ、オーグルが女心に疎いのは今に始まったこっちゃねぇしな、ん?」
鎧は吠えた。
「
、お前もこっち側だよ!」
☆
続く右手側の最奥は書庫、白を基調とした明るい雰囲気の棚や書き物机に、しかし、並んでいるのは現代では恐れられ、忌み嫌われるような類の文献ばかりである。
こちらにも魔法の痕跡はない。書棚を検分した、魔法の知識のある三人は、整然とした背表紙の連番に、抜けがあるのが気に掛かったが、残っているもの自体は古代王国末期の遺跡ではよく見られるありふれた文献ばかりだった。
食堂の反対側の部屋には、初めて、魔力感知に反応を示すものがあった。手のひらに載る程度の立方体の箱で、上面には椿の花のような彫刻が施されている。リージャはこれと同じものを以前、他人の研究室で披露された記憶がある。
「
ええと、これ……ここのつまみを回してから、ふたを開けるんですよ。ほら」
蝶番で留められたふたを返す。光と共に、彫刻と同じ椿の、赤いぽってりとした花の幻影が立ちのぼって、くるくると回り出した。同時に箱の内側から、控えめな和音の、金属や鉱石が触れあうような音色でメロディーが流れ始める。
冒険者たちはしばらくそのささやかな音楽と眺めを楽しんだ。
完成品は数えるほどしか置かれていなかったが、周囲の卓や棚にも、部品と見られるものが仕分けされ並んでいた。工房か、倉庫だったのではないか。
この部屋にあった品も花を象ったものが多かったのは、やはり制作者の趣味だろうか。
しかし、多少の古代語の知識をもってしても、彼らがここまでの部屋で手に入れられた情報は、グリフィス達のものと大差はないと言うしかなかった。
残された部屋は一つしかない。
☆
その部屋の扉も、外から見ただけでは他の部屋のものと変わりがなかった。
これまでの調査から推測すると、ここは他の部屋よりも大きめに取られているようだ。
「アイテムに触ったら、だったな」
確認をしてオーグルが、ドアノブに手を掛ける。やはり先陣は彼の担当、ということになっていた。
外開きの扉を引き開けると、グリフィスに聞いたとおりの、他と変わらない薄暗い空間が広がっている。
ひゅう、とルシェが口笛を吹く。
「こいつは随分……、とっ散らかしてるねぇ」
部屋には大きな家具などはなく、向かって右手の壁に一人がけのソファ、それと向かい合う形で部屋の中央には低い机、そこにはいくつかの儀式用の器具が置かれているようだった。そしてその周囲には乱雑に書き付けや書物が散らばっている。
これまでの部屋の整然とした様子が目に焼き付いていて、よけい気になるのかもしれない。
机の上、器具の中に混じって、魔法の光を淡く照り返す、白い球体があった。
「……あれ、だ」
リージャが呟いたのと同じことを、皆思ったのだろう。めいめいが頷いた。
「らしいな。
何れにせよ、入らない事には仕方無い、書籍から手を付けるか」
アレックの提案に、警戒を解かないまま、五人は順繰りに部屋へと入る。球体の中には、小さな花弁が集まった、紫がかった紅色の花が閉じ込められているのが見えた。
……水中花?
リージャが脳裏に浮かんだその言葉を口にする前に、球体は
明かりをはねのけて、自ら鮮やかに光を放つ。
なんで。誰もまだ、近づいてすらいないのに。
リージャはとっさに片腕をかざし目を守ろうとしたが、閃光はそんなことお構いなしに、こちらの意識をどこかに放り投げて行く。強い攻撃的な魔力にあてられたとき特有の、焼き付けられるような感覚。
小さく、力強い羽ばたきの音が聞こえた、気がした。
☆
「……え!」
腕の中の確かな重みが掻き消すようになくなり、モルガナは悲鳴にも似た声を上げた。
「嘘……っ、それじゃあ、あの人たちは……?!」
使い魔に何かあったら、すぐに戻るように、言いつけられていた。
聞き耳を立てたグリフィスが、静かに口を開く。
「……物音はしない。異変があったのは確実だろうが……」
「……グリフィス!!」
モルガナの声はもう、ほとんど泣き声のようだった。
「
もう少しだけ、待とう。いいか、日が落ちるか、少しでも妙な音がしたらすぐにここを離れるんだ」
仕方ないですね、と言いたげにロイドが息をついて、モルガナの背を叩く。
モルガナは頷く。そして両手を握りしめると、これまで以上に熱心な祈りを捧げ始めた。
★
……ぬくまった布団から這い出して、習慣のままにリージャは目覚まし時計を止めた。
雨戸の隙間から、わずかな光が強く差し込んでいる。
朝だ。
やたらと雀の声が大きく聞こえる。すぐそこに集まっているのだろう。
「なんか、壮大な夢見たな」
顔の皮膚をもみほぐしながら、リージャは独りごちる。
何か話のネタにできそうな夢だった。
しかし、しっかりと思い出そうとするとそれは、たちまち記憶の彼方に霧散してしまう。
「もったいない、かな」
リージャはベッドを這い出すと、雨戸を開けに立った。
制服に着替えて洗面所へ向かうと、シャンティと鉢合わせした。
「お兄ちゃん。寝癖すごーい」
「嘘、どこ」
「右側の後ろのとこー」
慌てて鏡を覗く。確かにすごい。出かけるまでに直せるだろうか。
手早く蒸しタオルを作って、当てることにする。台所では母が、父と自分と妹、三人分の弁当に詰める炒め物を作っている。
「お兄ちゃん、ゴミ出しお願いね」
「うん」
食卓に用意されていた牛乳に口を付けて、リージャは頷く。今日は確か……、
燃えるゴミの日だ。