花よ、私と踊りましょう
第五章 TO BE OR NOT - But, no matter what you say
「え……ちょっ……?!」
リージャが出した素っ頓狂な声が廊下に反響し、オーグルは大げさに耳を覆ってみせた。
「どうしたリージャ、忘れ物か?」
太平楽な様子に、リージャは声の大きさを落とすどころか、むしろ高めて訴える。
「違うっ! 今、見てなかったのか?! ルシェ先輩が……」
「ルシェ? 一緒に見たじゃないか」
「そうだよっ、いや、そうじゃない!
先輩が消えたんだ!」
声と同じぐらい素っ頓狂なその内容に、オーグルは口をあんぐりと開けた。
「……はあ? 落ちつけよリージャ」
……ようやく問い直せば、リージャは振り返った先の廊下を指さし、必死に続ける。
「あそこにいただろ?! 消えたんだよ!」
一応形だけでも見てやるか、といった感じで、オーグルはさっき通り過ぎた窓際にゆるゆると視線をやった。
「確かに、いないな。……トイレにでも行ったんだろ?」
「だ、……あのな! だから、僕の見てる前ですっと消えて行ったんだ! あそこに立ったままっ」
「こっちこそ、だから、だ。落ちつけよ、まだ寝ぼけてるんじゃないか? もし本当に人がすーっと消えたんなら、あいつらが大騒ぎしないわけがないじゃないか」
オーグルはリージャを真似して、昇降口を指さす。当然、生徒は続々と入ってきている。
「…………」
「だろ?」
黙り込んだリージャの肩を叩いてやると、少し離れた場所で他の生徒と話していたアレックが近づいてきて、様子のおかしいリージャを気遣った。
「どうした?」
「ああ、こいつ、恥ずかしいんだ。うっかり立ったまま見た夢を口走った相手が俺だったからいいようなものの、なあ……」
「……もういいよ」
ふて腐れた、というわけでもないようなリージャに、オーグルは一瞬あれっと思うが、しかし、その感触は目の前にさしかかったクラスメイトの集団に声を掛けられたことで、すぐに消えてしまった。
「あっ、リージャ、オーグル。今ねみんなで、中間終わったらカラオケとか、って言ってたのー。行こ行こ!」
元気よく声を掛けてきたのはモルガナ、男女ともに人気がある、クラスの中心的存在である。
「え、金曜? 放課後?」
リージャもそれで気を取り直したように、確認する。
「そーそー」
「行く行く!」
「待てお前、またバッティングして怒られても知らないぞ」
オーグルが元気よく声を上げれば、横からリージャがそれをとどめる。
「『また』?」
モルガナに聞きとがめられ、オーグルは声を張り上げた。
「その時はみんなでデートすりゃいいじゃないか!」
「オーグル、お前って奴は……」
モルガナと一緒に歩いてきた男子、グリフィスが仕方のない奴だ、とでも言いたげに苦笑した。隣でセルウィンも口許に手を当て、くすくすと笑いを隠さない。
「……って言ったらじーっと見つめられたんだよな。わかってる。保留だ」
と自分で締めれば、大げさに溜息をついたのはモルガナだ。
「もー、これだから彼女持ちはー。っていうか聞いてよ、セルウィンとグリフィスも2人揃って欠席とかぬかしやがんのよ、もー」
……リージャや周りのクラスメイトは、それぞれにゆるい笑顔を浮かべた。男子の一人、ロイドがモルガナをなだめる。
「まあ、邪魔するのも野暮ですよ。我々は我々で楽しみましょう」
「そうそう、仕方ないさ。今が一番いい時期、ってことだろ」
一緒にフォローに回ったのは意外にもオーグルだった。
「これが数週間、数ヶ月って経ってくるとだな、だんだんお互いの顔が……」
……結局、ネタに持ち込まずにはおれないらしい。さっそくモルガナに突っ込まれる。
「へー、オーグルはいつもそーなんだー?」
「え、いや一般論だよ! 一般論!」
そしてリージャにもたしなめられる。
「つきあい始めたカップルの前で言うことじゃないだろ」
「……そういやそうだな。悪い」
素直に二人に手を合わせれば、グリフィスもセルウィンも、笑顔のままだ。
「いいよ、気にしてない。いつものことだし」
そこへ、額に水晶を付けた教師が通りかかり、生徒たちを散らす。
「おーら予鈴鳴ってんぞー。教室入れー」
言われてみれば確かに、ちょうど予鈴の真ん中あたりがスピーカーから流れているところだった。
「じゃ、彼女からメール来たら教えて! すぐにだからね!」
モルガナは足早に教室に向かい、他のクラスメイトもそれに続く。最後にグリフィスとセルウィンが、まだ側にいたアレックに軽くおじぎをして去った。
「クラスメイトか。……賑やかだな」
「そうそう類は友を呼ぶ……って、どうしたんだリージャ?」
リージャは、並んでいる教室のひとつの、前のドアから入っていこうとする教師を目で追って、思案げに立ち尽くしていた。
「いや、何か忘れてるみたいな……」
「今度こそ忘れ物か? まあ、予鈴も鳴るからもう手遅れなんじゃないか。 それじゃ」
オーグルがアレックに片手を挙げれば、アレックもそれに応じる。
「ああ、じゃあな」
二人はそれぞれの教室に向かう。その耳に、リージャの声が流れ込んだ。
「……『全知なるラーダ、御手のお導きに感謝します』……!」
神聖語。
よく馴染んでいたはずのその響きに二人は驚き振り返る。
次の瞬間、オーグルはリージャに鞄を放り出すと、教室に入ろうとするセルウィンに向かって駆け出していた。
★
「まぁ、落ち着くと良い……俺のような良識人なら兎も角、オーグルみたいなのに聞かれたらどうなることやら……取り敢えず、俺は今の言葉を心に深く刻んでおくけどさ」
言葉通りに受け取れば到底落ちつけないようなルシェのせりふだったが、その声の調子やルシェ自身が纏う人を気安くさせる雰囲気に、ルメリアは張り詰めていたものが確かに解れていくのを感じていた。
「……そうね」
一息つくと、サイベルを抱きしめていた腕を少し、ゆるめる。猫はルシェの顔をおっとりと見上げた。
そのルシェは、ベゴニアにおどけたお辞儀をしているところだった。
「やぁ、初めましてお姉さん。ご機嫌いかがかな?」
「すこぶるよい。おかげさまでのう。ゆるりとされるがよいよ。そうそう、聞きそびれるところであった……そなたは何を見、何を聞き、そして何を感じ、夢から逃れ得たのかえ?」
気負った様子もなく、ルシェは答える。
「うむ、ほれ、簡単簡単。あの世界の面々は、俺が想像した通りのことしか言わなかったんよ」
それを聞いて、ルメリアは気づいた。
「……そうか、私たちの意識を映すことでしか登場人物を動かせない。だから……」
そうなん? とルシェは続ける。
「予想の範疇内のせりふしか返ってこない、んで、シーシェがここに現れたらどうなんかなって考えた。俺はそんなのはごめんだった。気づいたらここにいた」
「…………私も、そうだったわ」
夢の最後の部分を思い返して、ルメリアは呟く。
くっくっと声を立てて笑い出すベゴニアを横目で睨んでから、到達した結論を口に出してみる。
「どうやら、それが脱出の鍵、と考えてもいいみたいね……。あの世界の知り合いを否定することが必要、ということかしら」
探るように向け直した視線に、ベゴニアは動じない。
「ほほ、久方ぶりの客人、と申したであろ。何も急いて辞せずともよいではないか」
「んだな」
ルシェは軽く肯んじると、ソファにどかっと座った。勢いに埃が舞い上がり、年月の長さを感じさせる。
「掃除がなってないな、30点、後座ったらお茶ぐらいすぐに出せよ」
★
オーグルは、ちょうど教室の入り口をくぐろうとしていた間際のセルウィンに、ぎりぎりで追いついた。
「ちょっと!!」
「!?」
「おい?!」
勢いよく腕をつかまれ、セルウィンは声もなく驚く。すぐ側のグリフィスが、咎める声を上げる。
「あー、悪い、ちょっと借りる!」
まったく今の状況の言い訳にはなっていない一言だったが、グリフィスは、驚いた顔のままそれ以上何も言わなかった。
二人分の鞄を抱えたリージャがそれに追いつく。
「オーグル、お前どうするつもり……」
「ああ、ちょっとどこかないか、話せるところ」
「体育館裏……は問題か、屋上だな」
一緒に追いついてきたアレックが提案し、二人は頷いた。
「……だな」
☆
屋上への扉の鍵は開いていなかった。踊り場で話すことに決める。まだ角度の浅い朝の光が強く差し込み、隅に大きなハエやハネアリの死骸が黒く転がっている様子を目に、リージャはこれからどうするべきか、考えをめぐらせる。
「さて、確認が要るか……『セルウィン』?」
アレックが訊けば、セルウィンは不安そうに視線を彷徨わせ、声を震わせる。
「え……どうしたの、オーグル君、リージャ君まで……」
一緒に白金色の髪がさらりと動く。青みがかったグレーの瞳は、今は神経質そうな光をたたえている。そして、さっきまで一瞬たりとも気にならなかった ここはそういう世界のようだ が、その耳は、人間のものよりもわずかに尖っていた。……彼女は、半妖精だった。
リージャは溜息をつく。
「間違いない、みたいです。この人がセルウィンさんで」
その言い回しに、セルウィンはますます不安を強めたようだ。
「どういうこと? 毎日一緒に授業受けてるじゃない」
「忌々しいが、どうやら俺の記憶でも、そういうことになってるようなんだよなあ」
オーグルも重ねる。アレックが腕を組み、踊り場の手すりに背をもたせかけた。
「状況、記憶 認識レベルも、大きく改変されている、か。 ……この世界に於ける『あの三人』、だが」
アレックが示す、セルウィンのパーティーにあたる三人組とは、先ほど話を交わしたばかりだった。
「ええ……僕らの知ってる人が周りに出てきたように、さっきの集団の核がセルウィンさん、ってことですよね」
「つまり、こいつは掛け値なしに本物の救出対象、ってことだな」
「ああ」
★
完全にくつろいだ様子のルシェを横目に、ルメリアも、どうすべきか思案していた。
……ここはやはり、何があっても対応できるように、情報を集めて備えておいた方がよいのではないか。
そう結論付け、足元に目を落とすと、サイベルが腕から身軽に飛び降りた。ルメリアはかがみ込んで床に散らばる書物に手を伸ばしながら、気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、以前にここに来た冒険者は、その道具に触れた人だけが夢の世界に呑み込まれたのでしょう? 私達が、部屋に入っただけで、しかも全員飛ばされたのは何故?」
答えはないことも覚悟していたが、ベゴニアは嬉しそうに 魔神がそういう人間の表情を真似しただけ、とも言えるが 理由を口にした。
「ほほ、かわゆらしい半妖精の少女のことかの。呑み込むのは妾の胸の内ひとつじゃ、それに触れようが触れまいが、意味はない。あの時は、親しい仲間が消えることで恐慌を来す人間、というものでも久々に眺めてみようかと思うて、な。
しかし、そのちっぽけな存在のほうが、予想外に、と申してもよかろうな、妾の創造せし世界に、愉快な波紋を生じさせてくれたのでの。
投げ込む小石が、五つもあれば、水面の模様はいかなるものか、堪能してみとうなった……それだけのことじゃ」
「……悪趣味」
ルシェには地元の言葉はわかってしまうこともあり、さっきよりは幾分控えめに、ルメリアは吐き捨てた。
★
「さて、何から手を付けた物か……俺達の様に、神聖語でという訳にはいかないしな」
セルウィンに向き直り、アレックは軽く吐息を漏らす。まずは状況を把握して貰わねばならない。
「ほーりー……、?」
その口にした言葉をオウム返しに、セルウィンは何度も瞬いた。その様子に、リージャが身を乗り出す。
「 もしかして、聞き覚えありますか? えっとセルウィンさんのパーティーでは、ロイドさんが……、」
未だ怪訝そうな様子に、リージャは断りを入れ、続けた。
「いったん、最後まで僕の説明を聞いてください、それで、ぴんと来なかったら。何言ってるんだって忘れて貰って結構なんで」
アレックやオーグルに時々解説を加えてもらいながら話し終わる頃には、不審げにひそめられていたその眉が形を変え、瞳に浮かぶ表情も色が変わったのがわかった。
思い出してくれたようだ、とリージャは安堵の息をつく。
「じゃあ ここは、何なんですか?」
もっともな疑問だが、しかし彼らも答えを持たない。オーグルは首を振る。
「さあな……、あんたのお仲間は魔神を見た、と言った、まあ俺達が見たわけじゃないんだが。そいつが元凶と決めつけるのは気が早いかもしれんが、関わりがあるもんだと推測を立てるのは悪いことじゃない、だろ?」
そうだな、とアレックも同意を示す。
「まずは依頼通り、ここから連れ出さないとな。……その為にも、この世界について調べてみることが必要か」
そうですね、とリージャは、遺跡の中で見聞きしたものを吟味する。花の形をした音楽を奏でる魔法の箱、そして整然と並んでいた文献の数々。
統合魔術、精神魔術、幻覚魔術、召喚魔術。……幻覚?
「いにしえの滅びの街、の話を聞いたことありませんか?」
一瞬眉根を寄せたものの、アレックはすぐに答えを返した。
「ん……ラヴェルナ導師が見付けたという、古代の幻覚都市、確か 『マーラ・アジャニスの都』だったな」
「ええ、もしかしたらそれに近いものかな、と……。そうだ、セルウィンさん、精霊力はどうです?」
セルウィンは周囲を何度も眺めて、自嘲気味に笑った。
「……います。おかしいですね、さっきまでは感じようとも思わなかったのに」
「奇跡も使える、ように思えるな。 いや、何かやらかそうって言うんじゃないから安心してくれ」
オーグルが口を挟み、立てた右手の人差し指で天を指した。
「とにかく、ここはいつもの神さんの管轄のどっかのようだ。……察するにリージャ、お前がさっき最初に気づいたのも、お前さんとこの……だろ?」
「そうだよ」
知識神の奇跡、直感のはたらきである。
「『力』は阻害されないが、それ等への認識は阻害されている、か……幻覚、それもかなり高度な物が使われている、って所だな」
アレックがまとめれば、オーグルは拳を手のひらに打ち付けて何か思いついた様子だ。
「幻覚か、それなら、……んー」
そして目を閉じて、眉間に力を入れている。どうやら、幻覚を打ち破る試みをしているようだ。
「だめだな」
……ほとんど一瞬で諦めた。リージャはうっかり吹き出してしまう。
「抗魔を掛けてから試せばよかったな」
「次があったら、是非そうしてくれ。 ところでリージャ、
お前さっきルシェが消えたって言ったよな?」
あの騒ぎをちゃんとは聞いていなかったアレックが、目を見開いた。
「……それは本当か?」
「です。 あ! そうか、もしかして、ルシェさんは元の世界に?」
オーグルはその通り、と頷く。アレックも推測を続けた。
「その可能性もあるし、この世界を作った何者かに呼ばれたって線も無い訳じゃないが。
何れにしても、手がかりにはなりそうだな……詳しく、思い出せるか」
「 ってところで、セルウィンさんたちが通りかかって……、」
リージャの説明にその名が出、アレックがちらりとセルウィンを窺うと、彼女は唇を噛んで震えていた。
「……どうした?」
水を向けてやる。セルウィンは、しばらく逡巡した末に、小さく切り出した。
「その 、絶対、ここから出なきゃならないんですか?」
「何だって?」
オーグルがすかさず返すのを、アレックが手で遮る。
「……少し待て、話を聞いてからでも遅くはないさ」
……セルウィンが再び話し出すには、少し間が要った。辛抱強く待てば、先ほどよりも更に小さくなった声が紡がれる。
「ここは……、やさしいところですよ、ちょっと耳が尖っているだけで、宿を借りるのに嫌な顔をされることもないし、人並みの生活をすることを諦める必要もないんです」
「 あんた、冒険者だろう? だったらどんな種族だって、多かれ少なかれそんな扱いを受けてるんじゃないか?」
オーグルは解せない、という顔だ。
「……だって、私は冒険者になりたかったわけじゃないですし」
その言葉に再びオーグルが口を開きかけたのを、今度はリージャがとどめた。
「それは 、モルガナさんやグリフィスさんたちもそうなんですか? 皆さんすごく心配してましたよ。セルウィンさんのこと、頼まれたって言いましたよね」
「……こっちにもいますから、みんな」
セルウィンの親しくしているだろう相手の名を出した説得にも、手応えのない言葉が返される。
オーグルは頭を振った。
「本気で言ってるのか? こっちにいるのはおそらく、幻覚で生み出された偽物だってさっき言っただろう」
「……いいじゃないですか」
「よくないですよ、セルウィンさんは偽物の皆さんと会えるかもしれないですけど、皆さんから見たらセルウィンさんは消えたままです」
あんまり上手い説得とも思えなかったが、思いついたままの言葉をリージャは連ねる。
セルウィンは目を伏せた。
「どうせ……、どうせみんな、私より先にいなくなっちゃうんです。だから、お別れする順番が逆になったってだけで、別にいいんです」
「そんなこと……!」
強く反論しようとしたリージャを逆に押しとどめるのは、オーグルだった。
「やめとけ、リージャ」
「だってな、お前は平気なのか?」
「ああ。……いいかリージャ、今こいつに切り捨てられたのは俺たちじゃない。こいつがここから帰らなくても、俺たちには何も…… そりゃ、報酬の額に多少影響はあるかもしれないが、関係ない。気分がどうとかいうのとはまったく別の問題だがな。そんなことより今大事なのは、俺達自身が戻れるかどうかってことだろう? それができなきゃ、報酬云々の話もできないんだからな」
軽口の合間に挟まれた真実に、リージャは押し黙る。
黙ってやりとりを聞いていたアレックが、伏せていた目を上げて静かに言った。
「……言い分は判った、それがあんたの決断なら、俺が如何こう言える事じゃない。
……ただ、俺にはそのつもりがない以上、出来れば協力 せめて、妨害だけはしないで貰いたい」
セルウィンが黙って頷くのを見て、リージャは知らず知らずのうちに入っていた両肩の力を抜いた。
地響きのような、耳障りな音がする。飛行機というものだ、と植え付けられた偽の記憶が囁いた。
第六章 甘く痛き身勝手こそが夢なれば
写真素材:clef
© Kazami SHIHO 2008. / © Witch With Wit-* / ©月光華亭