花よ、私と踊りましょう
第七章 だから、お前なんだ
わずかに眼光を落ち着かせて、アレックは再びベゴニアを見やる。
「……契約者は、どこに居る?」
「はて……どこであったかのう。もう五百年ほど目にしておらんゆえ、な」
ベゴニアは彩られた爪で、頬を掻くふりをする。
「……あの世界を消し去る術は?」
問いを重ねれば、今度は肩をすくめた。
「人間は寿命が短いと聞くが…… 少々、生き急ぎすぎではないかえ? 五百年ぶりの賓客じゃ、もうすこし妾を楽しませる時間を取っても差し支えあるまいに……そもそも」
呆れたように嗤って、アレックに流し目を向ける。
「妾がそなたに答を授けるのは甚だ容易。だが、その答をもってどうする? そなたの連れ……二人、否、三人、か は、未だ妾の管理する世界におるのじゃぞ」
「……やはり、鍵は世界の中にある、か」
アレックはすっと目を細め、鋭く声を響かせる。ベゴニアは思わせぶりに首を傾げた。
「貴様が、意味もなく俺たちを気遣う訳もないだろう……にも拘らず、俺に示しても意味はないと言う。
ならば、世界の中にこそ鍵がある、そしてお前もそれが解かれる事を望んでいる……そうとしか、考えようがない」
「……妾は確かに『同情』という言葉を使うたが……、それはいささか……、人間じみたものの考えかたに過ぎるのではないかえ?」
椅子の肘掛けに両腕を重ねて、ベゴニアは笑いに身を揺らす。……しかしそれを鵜呑みにできるほどの、見当違いな当て推量であるとは思えなかった。
慎重に、目立った反応を控えていれば、やがて笑い声を収めたベゴニアは、やや身を乗り出して問う。
「しかし、重ねて問うぞ。それを確かめてなんとする? そなたらは既に、甘き夢から解き放たれ、同時に締め出されてもおる。
人間とは夢判断を好むものなれど、扉の鍵を探り当てようとも、再び訪うこと叶わぬからこそ、夢と呼ぶのではないかえ」
ルシェは大股でソファに戻る。
「何、アレックの話から察するに、さ。あっちに残されてる奴らも悪あがきを続けてるんだろう、諦めて夢の世界に住み着くなんてことはない、と……俺は信じてる。
だったら、目を覚ましてる俺達もやれることをやるだけ、と、そういうことさ」
「ほう……」
眼を細めたベゴニアの真正面で、ルシェは再び勢いよくソファに身体を沈める。
そして勢い余って、ソファごとひっくり返った。
先ほどの比ではない量の埃が舞う中、ベゴニアは思案げに顎をつまんだ。
「……なれば、妾もそなたらの頑張りとやらに、敬意を表してやらねばなるまいな」
★
「消えました……ね」
アレックが消えたあとの空間をまじまじと見て、セルウィンが呟いた。 そういえばリージャ以外は、誰かが消えるところを見えるのは初めてだったはずだ。
「……うん、ルシェさんと一緒……だった」
確かめるようにリージャが言う。……いつの間にか、アリアの姿もない。それどころか、今まで行き交っていた教師や生徒の姿も忽然と消えていた。
「いや、すこし違うな」
オーグルはリージャの言葉を打ち消す。
「 好きなこと言うだけ言って消えやがった。ルシェのときよりタチが悪いぜ、これ」
……その彼らに、再び唐突に声が投げ掛けられる。
「なんだ、お前ら、来てたんじゃないか。テストも受けずにこんなところで何やってるんだ?」
近づいてきた青年は、軽く首を傾けて、姉譲りのやわらかな色の髪を揺らす。
オーグルよりはきっちりと、リージャよりはややラフに着こなしたシャツとスラックス。
相変わらず他に人気はない。
リージャは日頃は決して彼には向けない強い視線をその顔に縫い止め、口ではオーグルに向けて問う。
「……レク、だよな?」
「ん? あ、ああ、レク、……だな」
オーグルは一語ずつ、次第に力を込めながら答えた。
そんな二人に、当の本人はあくまで緊張するでもない。
「俺じゃなかったら誰だっていうんだよ、妙なこと聞くなぁ」
そしてふ、と笑う。
セルウィンも彼を見、オーグルとリージャを見、そして自分の『記憶』を探ったようだった。
「えっと……レクシードさん、ですよね。クラスメイトの……」
「ああ、……俺らの知り合いだな、こいつは。そんな名前だっけ? ほれ、俺普段これのことレクとしか言わないから」
そうですか、とセルウィンが素直にうなずきかけ、せりふの続きに固まった。
そこにレクシードが、自分に言われたことには頓着せず、目を向ける。
「そうだセルウィンさん、グリフィスが心配してたよ、オーグルが連れ出してたのか。また、どうして?」
「……えっ……」
ここでの恋人役の名に、セルウィンがうろたえる。オーグルは傍目にはそれを顧みないまま、半歩乗り出した。
「どうしてってな、そりゃまあ。女の子っつーにはちょーっと俺のストライクゾーン外れてんだけど」
セルウィンは瞬く。
リージャが頬をゆるめて息を吐いた。だから、こいつは。
「いや実際俺も考えたんだよ。年下がいい、なんていうけど、俺みたいな高等生命体でもない限り、いずれ年食っちゃうわけでさ。それなら最初っから年を食いにくい子と仲良くなるのも手だなあ、なんて……」
「ふーん……」
それを聞くレクシードは、たった今グリフィスの名を出したばかりのクラスメイトは、顔をしかめるでもなければ怒り出すでもなく、むしろ徐々に笑顔を深めてゆく。
オーグルは今度こそ、面食らった。
「ふーん……って。おい、ふーんって何だよ」
「いや、別に深い意味はないけど。オーグルらしいなあと思ってさ」
ありえないやりとりに、たまらずリージャも口を挟む。
「そりゃ、オーグルらしいって言葉で片付けたら、それで全部済んじゃうけどさぁ」
それでも、だ。
レクと言えば、オーグルの非常識な言動にいつまでも懲りず、飽きもせず、人一倍目くじらを立てる仲間ではなかったか。
「……念のために聞くが、それ、怒ってるつもりだったりするか?」
「は? 何言ってんだよ?」
「そりゃこっちのせりふだ! お前、変なものでも食べたんじゃないか?
俺の言動が俺らしいなんて言うレクは、全然レクらしくないぞ!」
「そうだよな、レクこそ何、言って……、いや」
ここはかりそめの世界。
アレックさんは、何と言って消えた?
「そもそも、何で俺がお前のやることに、怒らなきゃいけないんだ」
リージャの慌ただしくめぐらせる思考に、レクの笑い含みの声が差し込まれる。
「俺はいつだってお前のこと、ちゃんと分かってるぞ?」
レクは笑顔で、その上真面目だった。
いつものように本気だった。
そしてリージャはこの言葉に、心当たりがあった。
でも、これはオーグルに、こんなふうに向けられていい言葉じゃない。
何かの道具のように、誰でも使える便利なもののように向けられていい言葉じゃない。
こんなふうに使うこと自体、それを否定しているようなものだ。
レクはオーグルの背を、いたわるように叩く。
「は……」
リージャはオーグルが力の抜けた声とも息とも付かないものを吐き、そして次の瞬間それを勢いよく吸ったのを見た。
「……わっはっはっは! なるほど、前言撤回だ。『アレックは好きなこと言うだけ言って消えやがった、ずるい』なんて言ったが、とんでもない誤解だったな。
こんなのを目の当たりにすれば、皮肉や自嘲のひとつも言いたくなるってもんだ」
「オーグルさん……?」
セルウィンが遠慮がちに声を掛ける。リージャは、ただ目を瞠る。
「俺のやることを、面白そうに笑ってくれるレクか。まあ、確かに、確かに俺もそういうやつだったら、付き合うのが楽なんだろうな、と思ったことはあるけどな」
オーグルは自身が言ったとおり、皮肉げに不敵に笑う。
「だが、こうして目の前に出てきた時点で、もうダメだな。俺が覚えてる……俺が付き合ってきたレクシード=ファーレルって男は、こんなちゃちな野郎じゃない」
「……おい、何言ってるんだ、オーグル」
笑顔こそ出したまま凍らせるものの、あくまで落ち着いたままレクが質す。リージャは、もうそちらを気に掛けなかった。
「これが、この世界の『普通』ってこと……なんだな?
じゃあ、あの、アレックさんを『先輩』って呼んだアリアは……、アレックさんが『どこかで思った』アリア、だったのか?」
オーグルももう、笑ってもいない。
「俺の場合と……こいつと同じなら、恐らくそうなんだろうよ」
「……じゃあ、そうか、セルウィンさんが一緒にいた、グリフィスさんも……」
リージャは言いよどむ。
「……どういうこと、です」
セルウィンが声を固くする。
はかっていたようなタイミングで、若い女の声がした。
「うん、その通り。
ここにいるのは君らが作り出した『都合のいい』相手だけ、だよ」
「 ネリアさん」
その姿に、にたりと笑う者がいる。
「やれやれ、やっとお出ましか……それじゃ俺もお役ごめん、だな」
レクシードの形をしたものは、片手を上げると掌を自分の肩に当てて言った。
「すばらしい演説だったよ、オーグル。
じゃあ……お前の覚えていない俺は、お前にとっては『誰』だったのかな」
オーグルは視線だけそれに戻して、気負うでもなく淡々と告げる。
「さあな。とりあえず、本物のお前さんに会ったら、『そのままのきみでいてくれ』とでも言ってやるとしよう。……そうするとあっちが今の俺みたいになりそうだがな」
レクの形をしたものはますます笑みを深めると、両手を指先が赤くなるほど強く胸の前で握りしめて見つめるセルウィンの視線をよそに、徐々にその輪郭を薄くする。
リージャはネリアに視線を定めたままだ。
それ、が消えた跡に、大きな灰色の羽毛がひとつ、床に舞い落ちた。
オーグルは無言でそれを拾い上げた。
「本物のレクに会いたいの? じゃあ、今すぐこの世界は自分の居場所じゃない、と思い込めばいい」
とっくに休み時間は終わってるはずなのに、まだ鐘は鳴らない。
ネリアは腕を組んで、軽く開いた足の片方に体重を掛けている。見慣れたポーズだな、とリージャは思う。
背に流した長い髪に大きな瞳、そしてこちらもわずかに長い耳は半妖精の証。
セルウィンと、 そして、アリアと同じ服。
「それ……そんなこと、ずっとやってますよ。この世界が僕たちが住んでたところじゃないって気づいたときから」
たぶんこれも本物のネリアじゃないんだろうな、と理解しながら、言葉を崩すことができない自分に、義理堅いなと心のどこかで別の自分が苦笑する。
義理堅いのだろうか。
「そうじゃないよ。信じるのは、風景、立場、生活が君たちのものじゃないっていうこと、それをじゃなくて
この世界にいる、君たちが必要としてる人。それが幻だっていうことを」
……必要と、してる?
視界の隅でオーグルが呆れたようにうなずく気配がする。
「作り出された幻、か……確かにそうだ。今のレクなんて、夢、それも頭に悪とつくようなもんだったからな」
「そう……、その幻に嫌悪感を抱いたなら、そのまま、それをこの世界を否定する気持ちに変えればいい」
ネリアはそちらに微笑みかける。
「そしたら君は現実に戻れるよ。この世界のことなんて、言った通り、悪い夢だったとしか認識できなくなる」
「ああ、言われるまでもないな。……俺は夢の世界で好き放題やらなきゃならないほど不自由じゃないんだ。俺の居場所は、ここじゃない」
なあ、どうしてお前は、このネリアさんと普通に会話ができるんだ?
「……うん。本物のレクも アビィも、シストも待ってるよ。早く帰るといい」
リージャはどこか鈍い衝撃を受けた頭で考える。
どうして、衝撃を受けるんだ。
僕はこの人に、何が?
直視したくない、直視してはいけないと言う胸の痛みを無視して、ゆるゆると頭を働かせる努力を続ける。
オーグルはそんなリージャの痛みにはお構いなしだ。
「さて、と。ネリア……のようなもの、的確な助言ありがたいな。いつもの切り込むような鋭さが無くて、聞いてる俺としても気が楽だ」
「そう?」
ネリアは気のない様子で、確かに、本物とは違うんだな、と思う。皮肉気な声の調子がない。僕たちのことをからかう言葉がない。おもしろがるような目の光がない。
「そうとも。だが、気楽なだけで何の感銘も受けやしないがね」
そうだ、この人は偽物だ。
「そんなこと、どうでもいいじゃない。オーグル、君が現実世界に戻れることが重要なんだから。 私は 」
この世界の人たちは、入り込んだ僕たちが必要とした幻想。
アリアは、アレックさんが。レクは、……オーグルが?
じゃあ、このネリアさんは。 この幻想を。
誰が、必要としたんだ?
「私は、リージャがここに残ってくれれば、それでいいし」
その言葉はリージャが苦心してこじ開けた真実の扉に突き刺さった。
ネリアは口をゆるく吊り上げた。
「リージャ……さん」
セルウィンが気遣わしげに名前を呼ぶ声が、すごく遠くからした。
そしてオーグルは、弾かれたようにリージャの顔を見た。
その注視の強さに押されるようにして、リージャは、やっと声を紡ぎ出す。
「 え……ネリアさん、それ……、どういう」
ネリアはリージャの顔をのぞき込む。その瞳には確かに陶酔の色があった。
「どういうもこういうも、そのまんまの意味だよ。オーグルは戻りたいかもしれないけど、リージャは別にそうでもないでしょ? 私にはわかるよ、だってリージャのことだもん。だったら、残ってよ。ここにいて。だって私にはリージャが必要なんだもん。私が必要としてるなら、リージャはこっちに残ってくれるよね?
私のそばに」
滔々と語られた、それがやんでも、同じぐらいの時間、誰も身動き一つしなかった。
リージャは目を伏せることもできない。
ネリアの顔を視界から追い出すこともできない。
他の二人が、どんな表情をしているのかなんて見えるはずもない。
やがて、口を開いたのはやはりオーグルだった。
「これを、こんな言葉をかけられることを望んだのは……」
眼鏡の奥で見開いたままのリージャの片方の瞳から、雫が流れ落ちた。
「お前なのか? リージャ 」
そして、数瞬遅れて、塞き止めるように、あるいは隠すように拳が当てられる。
「…………、僕、 は……っ!!」
ネリアは恍惚と囁く。
「それは、リージャと私の問題で、オーグルは関係ないでしょ?」
「関係ない?」
オーグルは薄く笑った。
「友を愛し、和を尊ぶチャ・ザの神官様に向かって、ずいぶん思い切ったこと言ってくれるじゃないか」
ネリアではなく、ネリアの姿をした誰かにでもなく、オーグルは言い含めるように続ける。
「だがな……これは紛れもなく俺たちの問題だ。リージャ、お前は……」
手の甲で眼鏡をずらし、片頬を押さえたままのリージャは、オーグルを見ない。
それでも、曲げずに。
「お前は、あれだけ俺たちといて、その望みが『叶ってない』と思ってたのか……?」
信仰でも信頼でも、何でもいい。自分の信じているものをのせて、伝わらないはずがない。
ようやくしばたいたリージャの、今度は両の瞼から、何度か雫が散った。
「それは……っ、冒険者として、神官として! みんなに必要とされてないとは思ってないっ! だけどそれはっ」
塞き止められていた水が放たれるように。
「……僕じゃなくてもいいじゃないか! そこにいて、その役目を果たすのは!」
ああ、こんなリージャ、あいつらは見たことがあるんだろうか。
オーグルの口元に会心の笑みがひらめいたのをセルウィンは見た。
「そうだな。確かに、傷を癒すのはお前さんじゃなくてもいい。それこそ、俺でも十二分に果たせる仕事だ。
けど俺は『冒険者として』あれだけ俺たちといて、なんて言い方をしたか?」
リージャの胸が一度大きく動いて、拳は慌ただしく雫を拭う。もう片方の手は、乱暴に眼鏡を引き抜いた。
一度放たれた激流は止まらない。
「じゃあ、何が残るって言うんだよ?! 確かにオーグルだったら、仕事以外のところでも、たとえば、宿の外じゃ月光華亭の看板扱いされるぐらいの名声があるし、中ではみんなに親しまれてるよ……誰だって、オーグルとは気さくにやり合えるぐらい」
リージャはついに、赤く縁を染めた目で、オーグルを真っ直ぐ見据えた。
「けど僕は……、 違う、そんな多くの人じゃない。多くの人じゃなくていい。
誰か一人でもいい。『僕』を『必要』としてほしかったんだ!」
言葉に出してもらえなくてもいい。
顔を見て、言葉を聞いて、ほっと笑ってもらえるだけでいい。
僕がいることで何かの助けとか支えになれてる、そういうのを。
苦い記憶が頭を支配して、喉が情けない音を立てた。
オーグルはなだめるように続ける。
「 俺は、確かに多くの人と気さくに話をしてたかもしれない。
だけど、気さくじゃない話……今にして思えば、ずいぶんと照れくさい話をしたのは、お前だ。リージャ」
リージャはただ、頬を手でこする。
こういう場でもなかったらこいつ、さっさとハンカチの一つでも出してるんだろうな、とかすめた自分の想像にオーグルは少し笑う。
「俺だけじゃあない。アレックや、クレアや、レクも、ルメリアやルシェを入れてもいい
俺らがいつも話していたのは、魔法使いのリージャス=ローランティアでもなく、冒険者リージャでもなく、誰でもない、お前だ。リージャ」
セルウィンが固唾を呑んで見守っている。
リージャはもうネリアを見ない。
オーグルは、負けることのない勝負に臨むように、ただ泰然としていた。
「……ああ」
吐き出した声はしわがれていて、それを厭うようにリージャは何度か呼吸を繰り返した。
「お前が『鎧』の中を打ち明けてくれた時のこと、忘れたわけじゃない。だけど……」
「だけど、なんだ?」
「……世界中を探し求めたものが、家に帰ってみたらそこにありましたなんて寓話のこともわかってる。……だけど!」
吐き出すうちに激情が戻ってきて、再び声を荒げる。
「僕がほしいのは、その『家』そのものなんだ! 僕はどこに帰ればいい?!」
なんだそんなことか、とオーグルは拍子抜けする。
「……月光華亭が……お前さんが大事に思ってる、お前さんを大事に思ってる人たちの集合してる場所が、あるだろう?」
リージャは目を剥いた。
言いたいことがありそうだ。
オーグルは構わない。
「家なんてものは結局、自分にとって大切な人たちの集まった場所だ」
リージャの家族のことは、聞いたことがないでもない。
だから、敢えて言ってやる。
「地理とか、関係性、そんなものは関係ない。
お前さんは月光華亭に戻った時『ただいま』と言えないのか?」
「……オーグル、冒険者は根無し草だ、って 言ったんじゃないか、お前が」
リージャはそのまま苦笑を作った。ひどい顔だ。
「大勢が、無差別に来て……そしていなくなってく。そんなところを、居場所って呼べるのか?」
「消えない誰かもいるだろう? もしいなくなったとしても、後を追うなり、新たに『大切な誰か』を見つけるなりすればいい」
「それじゃ……、不確定なもののままじゃないか……」
いや、伝えたいのはそういうことじゃない。 小難しくしたがるのはラーダ神官の悪い癖なんだろうが。
少し考えてオーグルは続ける。
「俺は、お前さんに向かって、安易なこと……」
つい癖が出て、髪の毛をかき回す。
この世界の服は、兜がないのがいけない。
「つまり、ずっと一緒にいるだとか、俺たちは友達だろう、とか。まるでクレアを喜ばせるために存在するような言葉はかけてはやれないがな」
リージャは何かを思い出してか、苦い笑いを深める。まあ、気にするべきところじゃない。
「だが、不確定でも、いいんじゃないのか? それを望んでいるお前さんに言うのは、気がひけるがな。しかし……」
ためらわずに、オーグルは言った。
「不確定じゃない、固まりきった居場所は、家じゃない。監獄だ。」
そして、言葉が相手の心に落ちるのを待つ。
そんなに長く待つ必要はなかった。
「……このゆがめられた世界みたいな?」
「そうだ。ここはまさに『自分の都合がいい人たち』で固定され、形作られた、精神の檻だ……」
このネリアさんは間違ってる。
……こうやって、人をゆがめてしまうことも……、この世界も間違っている。
それは確かなことだ。
でも、この世界みたいなところじゃない、本物の世界で、そこで僕が、確固としたものを、あくまでも求めるとしたら?
リージャはその仮定を口に上らせることができない。
だってオーグルは僕とは違う。
確固としたものを必要としないばかりではなく、それにしがみつくような僕も、たぶん否定するだろう。
否定されたくないわけではない。
だけど軽蔑されたくはない。
意見を違えるのはいい。でも、蔑まれるのは嫌だ。
その意味するところをつかめないまま、リージャは言葉を探す。
そして結局今度も、オーグルはリージャの都合などお構いなしだった。
「誰も彼もが出会いも別れもせず、歪んだ安逸の中に生きているだけの世界。俺は、この世界に興味も愛想も尽きてるから、さっさとおさらばして、後のことなんか知ったこっちゃないと言うところなんだが……あ、いや。まあ」
言いながらオーグルは廊下とその窓の外の、四角い建物ばかりの世界を見回して、……ぴたりとリージャに視線を戻した。
「この世界があったおかげで、普段はしないような話ができたわけだし、その点は評価しないでもないか……」
あんまりさらりと言うもんだから、平常心じゃないリージャはそれに気づくのが遅れた。
「ま、どちらにせよ俺はここで退場だ。いい加減、夢を見続けるのにも飽きたからな」
オーグルはネリアやセルウィンを眺めて、不敵に笑う。
「この世界の創造主に言いたいことはいろいろあるが、そいつはお前さんに任せるとしよう。んじゃ、また後でな」
「……ちょ……っ」
オーグルの輪郭が、あれよという間に風景に溶けて、見えなくなった。
そしてその言葉は、今までの中で一番すとんと心に落ちた。
リージャはたぶんひどい顔で、しかし笑っているであろう自分に気づく。
「……ったく、言い逃げかよ……!」
第八章 私の恋を知ってください
写真素材:clef
© Kazami SHIHO 2008. / © Witch With Wit-* / ©月光華亭